巻1第15話 提何長者子自然太子語 第十五
今は昔、天竺に提何(だいか)長者という人がありました。提何夫妻は年老いていましたが、子がありませんでした。
提何は妻に語りました。
「天上の世界、そして人間の世界では子がある人こそ富める人だ。子がない人はいたましい。私は年老いたというのに、子がない。樹神に祈ろう」
祈りの甲斐あってか、妻は懐妊しました。長者はおおいに喜びました。
長者のもとに、舎利弗(しゃりほつ、サーリプッタ)がやって来ました。長者は問いました。
「妻の腹に宿ったのは、男か女か」
舎利弗は答えました。
「男です」
これを聞くと長者はさらに喜んで、歌を歌ったり踊り出したりしました。宴を開いて伎楽をたのしみました。
同じころ、六師外道(りくしげどう、解説参照)が長者のもとにやってきました。
「これはめずらしい。どうして宴を開いているのですか」
長者は答えました。
「舎利弗が来て、私の妻に宿った子を男だと言って帰ったのです。それがうれしいので、宴を開いて祝っているのです」
外道は舎利弗の予言を否定して、「あなたの子は女ですよ」と語りました。
舎利弗がふたたびやって来ました。長者は外道に「女だ」と言われたことを語りました。
舎利弗は「男だ」と言い、外道は「女だ」と言っています。どちらが正しいかわかりません。長者は仏の御許に参り、これを問いました。
仏は答えました。
「男子である。この子は必ず親を教化して、仏道に入らせるだろう」
これを聞いて、外道はいよいよ嫉妬心をつのらせました。
「走る馬に鞭を加えるようなものだ。仏がなんと言おうと、ひきさがることはできない。私は長く師であった。もし女が生まれても、私の秘術によって男に変えよう」
長者はこれを聞いて、とても喜びました。
外道は帰って、同胞に言いました。
「じつは、生まれてくる子は男なのだ。つまり、仏の勝ちだ。しかしそれでは私の気がおさまらない。かまうことはない、妻を殺し、その子が生まれてこないようにすればいいのだ」
外道は毒薬をつくり、長者の許へ参りました。
「この薬を妻に一日一丸、服用させなさい。これは女を転じて、男とする薬である」
薬の大きさは柚のよう、赤い色をしていました。外道はこれを三丸、長者に与えました。
この薬を服して三日め、妻は物も言わず亡くなりました。長者は嘆き悲しみました。
舎利弗は仏の御許に詣で、これを伝えました。
仏は長者に問いました。
「おまえは母と子、どちらを得たいか」
「男子を得れば、私が歎くことはありません」
仏はおっしゃいました。
「おまえの子は失われてはいない」
葬送の日、外道たちは参列しました。仏もおいでになりました。
妻の遺体を焼く炎の中に、十三歳ほどのとてもうるわしい童子が立っています。
その子は毘沙門(びしゃもん)に抱かれ、仏の前に立ちました。
仏はこれを自然(じねん)太子と名づけました。母なくして生まれた子だからです。仏は長者を召し、この子を給いました。外道は負けを認めました。
長者はもちろん多くの人は、仏は偽りを語らない(妄語しない)と知りました。自然太子は親を教化し、仏道に入ったと伝えられています。
【原文】
【翻訳】
草野真一
【解説】
草野真一
中村元氏によれば、古代インドでは息子がなければ父が遺した財産はすべて国のものとなったとのことである。したがって、この長者が抱えた悩みはたいへんに大きなものだった。現代の日本では子がなくとも遺産は兄弟や親戚に分与されるが、古代インドでそれは望めなかったのだ。「子がない」とは、「財産が国に奪われる」ことを意味していた。
さらにつけくわえるならば、釈迦存命時の北インドは小国家が乱立し、頻繁に新しい国家が生まれては消えていた。多くの場合、国の命は人の命よりずっと短かったのである。国家への帰属意識はほとんどなかっただろう。
「外道」とは仏教以外の宗教だが、こう呼んだ場合、それがインド古来の宗教であるバラモン教に属する宗派なのか、釈迦と同時代にさかんになった新興宗教なのかはわからない。いずれも「仏教以外の教え」だからである。
ここでは「六師外道」と表現されており、釈迦と同時代に勢いのあった思想家六名のいずれかが率いた一派であることがわかる。
『大般涅槃経』にある物語。
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