(①より続く)
巻11第2話 行基菩薩学仏法導人語 第二
過去世において、行基菩薩は和泉国大鳥の郡(大阪府堺市)に住む人の娘でした。幼いころ、祖父母にいつくしまれていました。
その家に仕えている下童がありました。庭の糞をかたづけ、棄てることを仕事にしていました。名を真福田丸と申します。童は心に智恵があり、こう言いました。
「私は受け難い人の身を得たにもかかわらず。下姓の身のまま勤めることがなかったら、来世を期待することができない。大寺に行って法師となり、仏の道を学ぼう」
まず主人に暇を請いました。
「おまえはどうして暇請いをするのか」
「修行に出たいと思いました」
「ならば、すみやかに出るべきだ」
主人は家の者に言いました。
「長くこの家に仕えていた童だ。修行に出たいという。水干袴(すいかんばかま)を着せてやれ」
水干袴を用意させていると、家の娘が言いました。
「これは童が修行に出るとき着る服です。功徳のために着る服です」
娘は袴の片方を縫いました。童はこれを着て元興寺に行って出家し、その寺の僧となりました。智光と名乗りました。法の道を学び、知識ゆたかな学生となりました。
童が家を出た後いくばくもなく、娘は亡くなりました。
行基菩薩が未だ年若い少僧であるとき、河内国(大阪府)で法会が開かれることがありました。智光は位の高い老僧として、講師をつとめることになりました。元興寺から招かれた講師として高座(ステージ)にあがり、法を説きました。聞く人はみな感動し、貴い話を聞いたと思いました。説法が終わり、高座から降りようとすると、堂の後ろのあたりに論義(質問と議論)を出す声がありました。見ると、頭の青い少僧でした。講師は、「私にたいして論議をするとは、どれほどのものなのだろう」と思いました。
「真福田が修行に出た日に、藤袴の片方を縫ったのは私です。片袴は私が縫いました」
講師は大いに怒り、ののしって言いました。
「私は、公私に仕えて年来を過ごしているが、いささかも落ち度はない。おかしな田舎法師と論義をするなど、あり得ないことなのだ。まして、おまえはあざけった。安からぬことだ」
講師怒りつつ会場を出ました。僧は微笑して逃げていきました。
僧は行基菩薩です。智光は智者なのだから、あざけられたと感じても咎めるべきではありませんでした。しばらき思いをめぐらせてみるべきだったのです。罰せられたのはおそらく、その罪が要因で罰せられた側面もあるのでしょう。
行基菩薩は、畿内に四十九の寺を建立し、悪書には道を造り、深い川に橋をかけました。文殊菩薩がすがたを変えて生まれたのだろうと語りつたえられています。
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一
【協力】 草野真一
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