巻十一第四話 入唐して三蔵法師の弟子となり唯識をひろめた道照の話

巻十一

巻11第4話 道照和尚亙唐伝法相還来語 第四

今は昔、本朝、天智天皇の御代に、道照和尚という聖人がいらっしゃいました。俗姓は丹氏、河内の国(大阪府)の人です。幼くして出家して、元興寺の僧となりました。智恵は深く心はまっすぐでした。また、道心さかんで、仏のように貴い方でした。世の人は公よりはじまって、上下の道俗男女まで、首を垂れて貴び敬いました。

元興寺本堂(国宝、奈良県奈良市)

ある日、天皇は道照を召していいました。
「聞けば、震旦に玄奘法師という人があるという。天竺に渡り、正教を授かり、本国に帰ったそうだ。その中に大乗唯識という教えがあり、とくにかの法師が好み習ったものだという。これは『すべての事物は識(心)がつくり出すものである』と述べて仏の道を解いたものだと聞いた。しかし、その教法は未だわが国にもたらされてはいない。汝はすみやかに唐に渡り、玄奘法師に会って、その教法を受け習って帰朝せよ」。

道照はこの宣旨を承わり、震旦に渡りました。玄奘三蔵の門に立ち、使いの人に申しました。
「私は日本の国より、国王の命を受けて渡ってきた僧です」
使いはどうして来たかを問いました。
「国王の仰せによって、唯識の法門を習い、国に伝えるために参り来ました」
三蔵はこれを聞くと、すみやかに道照を招き入れ、座を下りて自分の部屋に迎え入れました。顔をあわせ談ずるさまは、以前からよく知っている人と会うようでした。

その後、唯識の法門を伝えました。道照は夜は宿房に泊まり、昼は三蔵のところで習いました。一年たって、教えは瓶の水をほかの瓶に移し替えるようにもたらされました。道照が帰国しようとすると、三蔵の弟子たちが言いました。
「この国にある弟子の中にもすぐれた人物は何人もあります。にもかかわらず、大師は敬うことがありません。しかし、日本の国より来た僧を見ると、座を下りて敬いました。納得がいきません。たとえ日本の僧がすぐれた人であるとしても、小国の人ではありませんか。大したことはありません。我が国の人のほうが、すぐれた人は多くあります」
三蔵は答えました。
「汝ら、すみやかにかの日本の僧の宿房に行って、夜のありさまを見るがいい。その後で、ほめるも謗るもすればよい」

三蔵の弟子が二、三人ほど、夜、道照の宿房に行ってひそかにのぞき見ました。道照は、経を読んでいました。よく見ると、口の内より長さ五、六尺ばかり(約150~180センチ))の白い光を出していました。弟子たちはこれを見て驚きました。
「これはまったく希有のことだ。我が大師の□。また、大師の力もすごい。他国より来た人で、まったく知らない人なのに、その徳がわかったのだ。権者(仏の化身)である」

弟子たちは帰って師に申しました。
「私たちは部屋をのぞいて見ました。日本の僧は口から光を出していました」
三蔵は言いました。
「おまえたちはなんとも愚かだ。私が理由もなく敬ったりするものか。それをわからず、日本から来たということで謗ろうとする。智恵の浅いことだ」
弟子たちは恥じ入って退席しました。

また、道照が震旦にある間、新羅国(朝鮮半島の国)の五百(非常に多く)の道士に要請され、かの国の山上で法華経を講じることがありました。聴衆の中に、日本語でものを求める声を聞きました。
道照は高座の上にあって、しばらく法を説くのをやめて、
「誰だ」
と問いました。
「私は日本の朝にある役の優婆塞です。日本では神の心も物狂わしく、人の心も悪く、ここに逃げてきたのです。しかし、今でもときどき国に帰っています」
道照は日本の人だと聞いて、どうしても会いたいと考え、高座から下りて探しましたがおりませんでした。残念な思いのまま震旦に帰りました。

役行者・前鬼・後鬼像(奈良県生駒郡千光寺、鎌倉時代)

道照は法を習って帰朝したのち、多くの弟子のために唯識の要義を説き聞かせ教え伝えました。現在もその法は絶えずさかんです。また、禅院という寺をつくって住んでいました。

命が終わるとき、沐浴し、浄い衣を着て、西に向かって端坐しました。そのとき、光が房の内に満ちました。道照は目を開き、弟子に告げました。
「おまえたち、この光を見たか」
「見ました」
「このことを弘めてはならない」

其の後、夜になって、その光は房よりもれ出て、寺の庭の樹を輝かせました。しばらくして、光は西に向かって飛び去りました。弟子たちはこの様子を見て、恐れおののきましたた。やがて道照は西に向かって端坐して死にました。極楽に往生したと伝えられています。

禅院という寺は、元興寺の東南にありました。「道照和尚は権者(仏の化身)である」と語り伝えられています。

【原文】

巻11第4話 道照和尚亙唐伝法相還来語 第四
今昔物語集 巻11第4話 道照和尚亙唐伝法相還来語 第四 今昔、本朝、天智天皇の御代に、道照和尚と云ふ聖人在ましけり。俗姓は丹氏、河内の国の人也。幼にして出家して、元興寺の僧と成れり。智り広く心直し。亦、道心盛りにして、貴き事仏の如く也。然れば、世の人、公より始奉て、上下の道俗男女首を低(かたぶけ)て貴び敬へる事限...

【翻訳】 柴崎陽子

【校正】 柴崎陽子・草野真一

【協力】 草野真一

【解説】 柴崎陽子

唐にわたって玄奘三蔵の弟子となり、法相宗をひらいてわが国に唯識の思想をもたらした道照の伝記です。唯識は思想的・哲学的な側面が強かったため、法相宗が強い影響力をもつことはすくなかったといいます。
道照の弟子に行基があり、東大寺の大仏建立の実質的なリーダーになりました。

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