巻12第11話 修行僧広達以橋木造仏像語 第十一
今は昔、聖武天皇の御代に僧がありました。名を広達といいます。俗姓は下毛野の公、上総の国武射の郡(千葉県山武市)の人です。
広達は仏道を求め、ねんごろに修行していました。大和国吉野郡(奈良県吉野郡)の金峰山に入り、樹の下に座り、仏道修行を行いました。
そのころ、その郡の枇花の郷に、橋がありました。橋の材料として梨の木を伐って曳き置いたまま、時間が経っていました。秋河(秋野川)といいます。その河に、その曳き置いた梨の木を渡し、人や牛馬がこれを踏み渡り、行き来していました。
あるとき、広達が要事あって郷に出て、梨の木の橋を渡ると、橋の下から声がしました。
「ああ、ひどく踏むなあ」
広達はこの声を怪しみ、橋の下を見ましたが、人はありません。しばらくそこをうろうろして立ち去らず、声のする方に寄ってみると、この橋の木は、仏の像を造ろうとして、造り終えないうちに棄てたものを、橋として渡していることがわかりました。広達はこれを見て、大いに怖れ、踏んだことを悔い悲しみました。みずから浄き所に曳き置いて、木に向かって泣く泣く礼拝恭敬し、誓を立てました。
「私は縁あって今日この橋を渡り、このことを知った。願わくは必ずこの木を仏の像に造ろう」
ゆかりのある地にこの木を運び、人を集め勧請して、阿弥陀仏・弥勒・観音の三体の像を造りました。越部の村(吉野郡大淀町越部)の岡堂に安置し、供養しました。
木はもともと、心を持たぬものです。どうして声を発することがあるでしょうか。これはひとえに仏が霊験を示したものでしょう。このことから、「もし人が思わぬところから声がするのを聞いたなら、必ず怪しみ、たずねるべきだ」と語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一

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