巻12第12話 修行僧従砂底掘出仏像語 第十二
今は昔、駿河国(静岡県中部)と遠江国(静岡県西部)の堺に川がありました。大井川といいます。その川上に鵜田郷というところがありました。遠江国榛原郡(静岡県島田市)にあります。
大炊の天皇(淳仁天皇)の御代、天平宝字二年(758年)三月(正確には淳仁天皇の即位は八月)、仏の道を修行する一人の僧がありました。鵜田郷の河辺を行き過ぎようとすると、川辺の砂から声がしました。
「私を取り出してくれ、私を取り出してくれ」
僧は怪しんであちこち動き回りました。その間じゅう、声は止まりませんでした。探し回りましたが、人はいませんでした。どうやら、声は砂の中からするようです。
「もしかしたら、死んだと思って埋めた人が、生き返って声を発しているのかもしれない」
そう思って掘ってみると、薬師仏の木像でした。高さは六尺五寸(約197cm)、左右の手が欠けていました。
「声は仏様のものだったのだ」
悲しくて、泣く泣く礼拝して言いました。
「おお仏よ。何があってこのような水難にあわれているのですか(洪水で流され埋まったと解釈した)。私は縁あってあなたに出会いました。修理を加えたいと思います」
すぐに知識(信仰心ある人)を集め、寄付をつのって仏師を雇い、修理して、その地に道場を建て、像を安置し供養しました。鵜田寺と呼んでいます。
この仏はかぎりなく霊験あらたかで、光を放ち給いました。その国の人が願い求めることがあったときに、この薬師仏に詣でて祈り請うならば、かならず願は成就しました。国の内の道俗男女(すべての人。出家・在家・男・女)は頭を下げて恭敬し奉りました。
仏がなぜ砂の中にあったのかはわかりません。しかし、ものを言う仏です。心ある人は、必ず詣でて礼奉るべき仏であると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一

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