巻12第15話 貧女依仏助得富貴語 第十五
今は昔、聖武天皇の御代に、奈良の都、大安寺の西の郷に、一人の女人がありました。とても貧しく、衣食を得る手だてもありませんでした。
女人はしっかりした心で考えました。
「大安寺の丈六(一丈六尺、約4.85メートル。仏像にもっとも適当とされる大きさ)の釈迦の像は、霊鷲山(インドの山)にいらっしゃった生身の釈迦とまったく変わらぬ相好をしていると、化人(仏の化身)が語ったそうだ。きっと衆生(人々)の願いを聞き届けてくださるにちがいない」
香花と香油を買い求め、これを釈迦の御前に捧げ、礼拝して言いました。
「私は前世に福因を植えることができず、今世は貧しい報いを得ています。仏よ、願わくは、私を哀れみ助けてください。私に財を施し、困窮から救ってください」
連日祈り続けました。常に福を願い、香花と香油をささげて祈り請いました。
ある日、寺に詣でて家に帰り、明くる朝に起きてみると、家の門の橋の前に、銭四貫(四千枚)が置いてありました。札がついていて、こう記されていました。
「大安寺の大修多羅供(だいしゅたらく、法会の費用)の銭なり」
女人はこれを見て、大いに恐れました。どうして銭がここにあるのかさえ知らないままに、寺にとどけました。寺の僧たちはこれを見て、銭を納めた蔵を調べました。銭は封も切らずに置いてありました。たしかに蔵に納めた銭でした。僧たちはとても不思議に思いました。
それからしばらく経ちました。女人はやはり連日、釈迦像に詣で、花香灯(香花と香油)を奉げていました。ある朝、目覚めてみると、また庭に銭四貫が置いてあります。やはりこう記してありました。
「大安寺の大修多羅供の銭なり」
女人は以前と同じように恐れて寺にとどけました。寺の僧たちはふたたび蔵の銭を調べました。やはり封がされたままです。不思議に思ってさらに調べてみると、先日納めた銭四貫がなくなっていました。
六宗(南都六宗。平城京に栄えた六つの宗派。三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗)の学者の僧たちはこれを怪しみ、女人を呼んで問いました。
「おまえはどんな修行をしたのだ」
「私は特別な修行をしていません。ただ貧しいために、命を存する方法がありませんでした。頼むところがありませんでしたから、この寺の丈六の釈迦の御前に花香灯を奉り、毎日福を願っていました」
僧たちはこれを聞くと言いました。
「この女人は銭をたびたび得ている。仏が与えたものである。蔵に納めるべきではない」僧たちは女人に銭を返し与えました。女人は銭四貫を得て、これを元手として、大くの財を得て富みました。
この話を見聞く人はみな、女人をほめ貴びました。また、大安寺の釈迦の霊験の奇異なることは、とても言葉にできるものではないと語りあいました。世の人はいよいよ頭を垂れ、恭敬供養しました。
貧しくて世を渡るのが困難なとき、心を尽くして念じるならば、仏はかならず福を与えくれる。そう信ずるべきであると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一
【解説】柴崎陽子
大安寺は、往時は東大寺や興福寺とならぶ平城京を代表する大寺のひとつであった。1017年の大火により寺のほとんどが焼け落ちた。ここで語られた本尊の釈迦如来像もそのときに焼失している。


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