巻12第16話 獦者依仏助免王難語 第十六
今は昔、聖武天皇の御代、神亀四年(717年)九月中旬、天皇は群臣とともに狩りに出られました。添上の郡山村(奈良市帯解)の山で、一匹の鹿を見ました。鹿は網見の里(奈良県天理市朝和)の百姓の家の中に走り逃げました。人はそうとは知らず、この鹿を殺して食べてしまいました(天皇の鹿を奪い食う罪を負った)。
天皇はこれを聞くと、使いを派遣して、鹿を食った者を捕らえさせました。十余人の男女が捕らえられました。体ががたがたふるえ心臓がどきどき鳴りました。助けようとする者はありませんでした。
そのとき、男女は思いました。「三宝(仏法僧)の加護が、この難を助けてくれる」
「伝え聞いたところ、大安寺の丈六(一丈六尺、約4.85メートル。仏像にもっとも適当とされる大きさ)の釈迦は、よく人の願をかなえてくださるという。仏よ、我々を難から救いたまえ」
すぐに人を詣でさせ、誦経を行いました。
「我々が刑を受けるため役所に入るとき、寺の南の門を開いてください。礼拝させてください。刑罰が執行されるとき、鐘をついてその音を聞かせてください」
大安寺の僧たちはこの願をあわれみ、鐘をついて誦経を行いました。また、南の門を開いて礼拝をさせようとしました。
十余人の男女が役所の使いに連れられ、禁固されようとしたとき、皇子が誕生しました。「これは朝廷の大いなる賀である」として、大赦が行われました。彼らは刑罰を受けることなく、むしろ官禄を得ることになりました。かぎりなく歓喜しました。
「これは大安寺の釈迦の威光だ。誦経の功徳のなせるわざだ」
いよいよ深く念じ礼拝しました。
「王難にあうときは、心を至して仏を念じ誦経を行うべきである」と語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一


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