巻十二第十四話 洪水に流され生活をあらためた人の話

巻十二

巻12第14話 紀伊国漂海依仏助存命語 第十四

今は昔、白壁の天皇(光仁天皇)の御代、紀伊の国日高の郡(和歌山県日高郡)に、紀麿という人がありました。因果の法(仏法)を信じず、三宝(仏法僧)を敬いませんでした。長く海辺に住み、網を持って海に出て、魚を捕ることを仕事としていました。

紀麿に二人の使用人がありました。ひとりは紀の臣馬養、安諦の郡の吉備の郷(和歌山県有田郡有田川町)の人です。もうひとりは中臣の連祖父麿、同じ国の海部の郡の浜中の郷(和歌山県海南市)の人でした。この二人は紀麿につかえ、長年昼夜にわたり、ねんごろに勤めていました。網を持って海に出て、魚を曳き捕ることを仕事としていました。

宝亀六年(775年)六月十六日、大風が吹き、大雨になりました、高潮が起こり、大小にかかわらず多くの木が流れました。紀麿は馬養と祖父麿、二人の従者に命じて流れている木を集めさせました。

二人は主の命に随い、川で多くの木を集め、その木で筏を組み、その筏に乗って川を下りました。川は大いに荒れ、筏を編んだ縄はたちまち切れて、壊れてしまいました。二人は共に海に流されました。それぞれが一本の木につかまって海に漂っていきました。おたがいにどこに流されたかはわかりませんでした。陸に着く様子もないので、二人は死を覚悟し、声をあげて叫びました。
「釈迦牟尼仏よ、私を助けてください」
助けてくれる人はありませんでした。

やがて五日がたちました。飲食していなかったために、力も無く目も見えなくなっていました。方角も位置もわかりません。
五日めの夕方、祖父麿は思いがけず、淡路の国の南面(兵庫県淡路島南岸)の田野の浦というところの、塩を焼く漁師が住むところに流れ着きました。馬養は六日めの寅卯の時(午前四時~六時)ごろ、同じところに流れ着きました。彼らを見て、何があったのか問う人がありましたが、二人とも言葉を発することができませんでした。
しばらくして、息もたえだえに言いました。
「私たちは紀伊の国の日高の郡の者です。主の命で木を集め、筏に乗って流れを下ろうとしましたが、川の水が荒く、筏の縄が切れて壊れ、海に押し出されて、それぞれ木につかまって波に浮かび何日かを経て、夢のようにこの地に流れ着いたのです」
漁師たちはこれを聞いてかわいそうに思い、何日か養ってやると、徐々に体力を回復して、健康になりました。

そのころ、国司が国におりました(京にいることも多い)。漁師たちがこのことを申し上げると、国司は二人を呼び、とてもあわれんで、食糧を与えて養いました。祖父麿は歎きました。
「私は長いこと殺生の人につかえ、無量の罪を造った。今、もとの暮らしに戻ったなら、以前と変わらず殺生の業をかさねてしまうだろう。私はもう故国には戻らない。この国に留まろう」
国分寺に入り、その寺の僧につかえて暮らしました。

馬養は、二か月後、妻子恋しさに故国に帰りました。妻子はとても驚き怪しみました。
「あなたが海で溺れて死んだと聞いて、私たちは七々日(四十九日)の法事をすませ、没後をとむらいました。しかし、あなたは生き返ってきました。これは夢でしょうか。魂が蘇ってきたのですか」
馬養は妻子にことのありさまを伝えました。
「私はおまえたち恋しさに戻ってきたのだ。祖父麿は殺生をやめるために、かの国に留まり、国分寺に入って道を修している。私もそうするつもりだ」
妻子はこれを聞いて、かぎりなく歓喜しました。

馬養はその後、世を厭い、心を発して山に入り、仏道を修行しました。これを見聞いた人は「奇異のことである」と語り合いました。

海に投げ出され、何日も漂ったというのに、命をながらえ存したことは、釈迦如来を念じた広大の恩徳でしょう。また、この二人の信が深かったためでしょう。
「難に出会ったとき、心を静め、ひたすらに仏を念じるならば、かならずその利益はある」と語り伝えられています。

日高川。紀伊半島を流れる。二人が流された川と思われる。水害の記録が多い

【原文】

巻12第14話 紀伊国漂海依仏助存命語 第十四
今昔物語集 巻12第14話 紀伊国漂海依仏助存命語 第十四 今昔、白壁の天皇の御代に、紀伊の国日高の郡に、紀麿と云ふ人有けり。心に因果を信じずして、三宝を敬はず。然れば、年来海辺に住して、網を持て海に出て、魚を捕るを以て朝暮の業とす。

【翻訳】 柴崎陽子

【校正】 柴崎陽子・草野真一

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