巻12第7話 於東大寺行花厳会語 第七
今は昔、聖武天皇が東大寺を造り、開眼供養するとき、行基菩薩は婆羅門僧正という人が天竺(インド)より来るのを予知していて、その人を講師として供養することを勧めました。
「読師は誰にすべきだろう」
そう思い悩んでいるとき、天皇の夢に、やんごとなき人が現れました。
「開眼供養の日の朝、寺の前に最初に来た人を、僧俗にかかわらず、貴賤を選ばず、読師とすべきである」
そのお告げを聞いて夢から覚めました。
天皇はこれを深く信じ、その日の朝、寺の前に使いを派遣しました。すると、一人の老翁がざるをかついでやって来ました。ざるには鯖が入っていました、使いはこの老翁を天皇の御前につれてきました。
「これが最初に来た人です」
天皇はこの翁がきっとなにかある人だろうと思い、法服を着せました。
「この人を供養の読師とする」
翁は言いました。
「私はその器ではありません。私は長年、鯖を持ち運ぶのを仕事として暮らしてきた者です」
しかし天皇はこれを許さず、翁を講師と並んで高座(ステージ)に乗せました。翁はざるに鯖を入れたまま、高座の上に置きました。ざるをつけるためにかついでいる杖を、堂の前の東の方に突き立てました。
やがて供養が終わり、講師たちは高座より下りました。読師の翁は高座の上で、掻き消えるようにいなくなりました。天皇は言いました。
「やはり、この人は夢の告の人なのだ。普通の人間ではないのだ」
翁のざるには鯖が入っていると誰もが思っていましたが、見ると華厳経八十巻でした。天皇は泣く泣く礼拝して言いました。
「私の願が誠だったからこそ、仏がおいでくださったのだ」
かぎりなく信を発しました。天平勝宝四年(752年)の三月十四日(旧暦)のことです。
天皇はこの開眼供養の日に、毎年華厳経を講じる法会を開くようになりました。法会は今なお行われています。華厳会といいます。寺の内の僧たちは、毎年のいとなみとして、法服をつけてこの法会に参加しました。公家には勅使を派遣して、音楽を演奏させました。心ある人は必ずこの法会に参り、経に深く礼しています。
翁がかついでいた鯖を運ぶための杖は、今なお御堂の東の方の庭にあります。その杖は成長して長さが増すこともなく、葉をつけることもなく、枯れた姿であると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一
【解説】 草野真一
宇治拾遺物語に同じ話がある。
こちらでは、ざるに入っていた鯖の数を八十とし、華厳経の巻数と同じにしている。
華厳会は現在も東大寺で開催されている。杖はないけど。
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