巻十二第九話 比叡山の舎利会が京でおこなわれた話

巻十二

巻12第9話 於比叡山行舎利会語 第九

今は昔、慈覚大師(円仁)が震旦(中国)から多くの仏舎利を持ち帰りました。貞観二年(860年)、惣持院を起こし、舎利会をはじめ比叡山の行事としました。多くの僧を請じ、音楽を調え、一日の法会を行いました。比叡山にいるすべての僧が舎利会をおこない、今も絶えていません。ただし、日は決めてはいません。山に花が盛りのときに行われます。

あるとき、座主の慈恵大僧正(良源)がこの会を老母に礼させるため、□年に舎利を山から下ろし、吉田というところで会を行いました。多くの僧を請じ、音楽を奏で、一日の法会を行いました。たいへん素晴らしい行いだと評判になりました。

その後、ある座主が
「京中の上中下の女がこの会を礼しないことはとても残念なことだ」とおっしゃって、まず舎利を法興院に下ろしました。京中の上中下の道俗男女が参り礼し、大騒ぎになりました。

ついに、四月二十一日、舎利会を法興院から祇陀林寺にうつして行いました。他に例のないほど素晴らしいものでした。二百余人の僧に四色の法服を着させ、定者(香炉を捧げた僧)を先頭として二列をつくりました。唐楽や高麗楽の舞人・楽人がならび、「菩薩」や「鳥蝶」(雅楽の曲名)の童が左右にならびました。音楽がすばらしく鳴りました。舎利の輿をかつぐ者は、頭に甲をつけ、身には錦を着ていました。朱雀大路をのぼる行列のありさまはとても貴いものでした。大路の左右には見物の桟敷が隙なく並びました。小一条の院(敦明親王)・入道殿(藤原道長)の桟敷もありました。その他の桟敷を想像してみてください。道の途上には宝の樹を植え、空からはさまざまな花を降りました。僧たちの香炉からは、種々の香を焼き薫じたすばらしい香りがただよっていました。

舎利を祇陀林寺に安置したのちは、法会の儀式・舞楽が終日続き、たいへんすばらしいものでした。祇陀林寺も極楽のように荘厳されました。その後、舎利をさまざまな家や宮に渡した後、山に返し送ったと語り伝えられています。

比叡山法華総持院東塔

【原文】

巻12第9話 於比叡山行舎利会語 第九
今昔物語集 巻12第9話 於比叡山行舎利会語 第九 今昔、慈覚大師、震旦より多の仏舎利を持渡りて、貞観二年と云ふ年、惣持院を起て、舎利会を始め行ひて、永く此の山に伝へ置く。多の僧を請じ、音楽を調へて、一日の法会を行ふ。満山の僧、此の事を営て、于今絶えず。但し、日を定むる事無し。只山に花の盛なる時を契る。

【翻訳】 柴崎陽子

【校正】 柴崎陽子・草野真一

【解説】 草野真一

現在、法興院・祇陀林寺という寺はなくなっているようです。

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