巻13第27話 比叡山僧玄常誦法花四要品語 第廿七
今は昔、比叡山に玄常という僧がありました。もとは京の人です。幼くして比叡山に登って出家し、師に随って仏法の道を学びましたが、とても賢く知恵があったため、その意義を弘く遍く知りました。また、法華経を受け学び、心に思いました。「法華経の中でも、方便品、安楽行品、如来寿量品、普門品(品は章という意味)、この四品こそ肝心要の、重要なものであろう」と悟って、これを四要品と名付け、特に大切に保ち覚えては、昼夜分かつことなく誦することを怠りませんでした。
また、玄常は行いや態度も普通の人とは似ても似つきませんでした。身につける衣は紙衣(かみぎぬ)や、木の皮ばかりで、絹や布などは決してまといませんでした。また、道を歩いていて河を渡るような時も、裾をからげようとはしません。雨の降る日も晴れたかんかん照りの日も、笠を被るということは全くありませんでした。遠くへ行くときも、近くに行くときも、何も履くことはありません。
また、一生の間、戒を破ることなく保ち、正午以降に食物を口にすることもありませんでした(持斎。出家は午後、食事をとってはならないとされていた)。帯を解くということもしませんでした(くつろぐことがなかった)。僧俗に会えば、相手の貴賤を問わず敬い、家畜や動物と行き会えば、鳥でも獣でも避けずに腰をかがめました。世間の人たちはこれを見て、気がおかしいのではないかと疑いました。
ある時、本山である比叡山を立ち退いて播磨国(兵庫県)の雪彦山に移って住しました。静かに山籠りをして、一心不乱に修行をしました。栗百個で一夏九旬(解説参照)を過ごし、柚(ゆず)百個を以って三冬の食としました。その山は、人里から大層遠く離れていましたので、猪・鹿・熊・狼等の獣がよくやって来ては、恐れげもなく聖人に近よってじゃれついていました。また、聖人はかねてより人が心の中で思うことを知り、その人が考えていることを言い当てて、間違うということはありませんでした。また、世間の状況を見て、その吉凶を判断し、当たらないと言うこともありませんでしたから、世間の人々は聖人のことを「権化の者(解説参照)」と呼びました。
最期の時に臨んで、互いに相親しんだ僧俗の人々を訪れ、別れを惜しんで言いました。
「今生でお会いするのはこれが最後です。明後日には、私は浄土の辺りに参ります。これより後にお会いするのは、真如の界(浄土)であるよう、願います」
そして雪彦山に帰って岩屋の中に入り、心乱れることもなく、法華経を読誦して、お亡くなりになったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
※方便品(ほうべんぽん)…方便品第二。法華経は28章からなり、前半14章の迹門(しゃくもん)と後半14章の本門(ほんもん)から構成されている。前半の中心となる
※安楽行品…安楽行品第十四
※如来寿量品…如来寿量品第十六。法華経の中心とされる
※普門品…観世音菩薩普門品第二十五。法華経の中で独立して流通している章節であり、略して『普門品』または『観音経』と呼ばれた
※紙衣…紙で作った衣服。厚くて丈夫な和紙に柿渋を塗った渋紙を日光でかわかし、もみやわらげて仕立てる。軽くて、保温や防水に役立つ。もと僧が用いた
※雪彦山…弥彦山(新潟県)、英彦山(福岡県・大分県)と共に日本三彦山として知られる修験道の地。日本百景、ひょうごの森百選、兵庫50山、関西百名山、近畿百名山に選定されている
※一夏九旬(いちげくじゅん)…「旬」は一〇日間の意。一夏九旬とは一夏九〇日の意で、その間の安居(あんご)のこと。安居とは僧が、夏、一か所にこもって修行すること。陰暦4月16日から7月15日までの3か月間を一夏という。
※三冬…冬の3か月。陰暦10月・11月・12月
※権化の者…仏・菩薩(ぼさつ)が人々を救い導くために、仮に神や人の姿をとってこの世に現れること。また、その化身
※真如…清浄無垢なる真理が常住する世界。ここでは浄土。












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