巻13第29話 比叡山僧明秀骸誦法花経語 第廿九
今は昔、比叡山の西塔(エリアの名)に明秀(みょうしゅう)という僧がありました。天台座主(ざす。比叡山のリーダー)の暹賀僧都(せんがそうず)という人の弟子です。幼くして比叡山に登って出家し、師に付き随って法華経を受け学んで、日夜読誦しました。また、真言の密法を受けて、毎日の行法を怠りませんでした。
例え身に病があっても、または何か差し障りがあったとしても、日々法華経一部を欠かさず読誦していました。
そうする間に、四十の年を迎えると、俄に発心し、西塔の北谷の下の方にある黒谷に別所(本寺とは離れた場所にある寺)がありましたので、そこに籠って静かに法華経を読誦し、一日に三度の行法を続けて、日々勤行していましたところ、身体を病みました。薬で治療しましたが、病は癒えるどころか、ますます悪化し、今にも死ぬのではないかという危篤状態になってしまいました。
最期に明秀は法華経を手に取り、誓願を発しました。
「遥かな昔から積もり積もった罪障が我が身に薫入し、今生に、全く定恵の修行(解説参照)が出来ませんでした。どんな因縁があろうとも、私が極楽往生できる訳がありましょうか。少しばかり法華経を誦しましたが、心が乱れ、正しい教法では出来ませんでした。そうとは言っても、この善根を善知識(手引き)として、死して後、死骸・魂魄(しかばね・たましい)ばかりになったとしても、なお法華経を誦し、また、中有、生有(解説参照)にあるときも、ひたすらに法華経を誦し、もしも悪趣(地獄・餓鬼・畜生の世界)に堕ちようとも、またあるいは、善所(浄土)に生まれようとも、常に法華経を誦し、とにもかくにも、仏果に至るその時まで、ただ法華経を誦し続けましょう」と誓願し終わってすぐに死んでしまいました。
明秀を葬った後、「夜になると墓所で法華経を誦する声がします」と告げる者がありました。生前懇意にしていた人がこのことを聞いて、夜こっそり墓所に行って聞き耳を立てていましたところ、慥か(たしか)とまでは言い切れませんが、藪の中で微かに法華経を誦する声がしました。よくよく聴くと、明秀が生前に法華経を誦していた声に似ていました。
これを聞いて、悲しみ哀れに思って、その者が帰って人々に語りましたところ、寺院にいる人々が皆、それを語り継いで墓所に行って聴くと、その声が聞こえました。「今際の時の誓願に違わないとは、極めて貴いことだ」と人々が語り合ったと、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
※暹賀僧都…(914-998)平安時代中期の天台宗の僧。延喜14年生まれ。幼少のころ比叡山の良源について出家。顕密二教をまなび本覚院をひらいた。正暦元年天台座主となる。本覚房座主とよばれた。長徳4年8月1日死去。85歳。駿河または近江出身。俗姓は藤原
※黒谷…滋賀県大津市坂本。比叡山延暦寺西塔北谷にある地名。元(本)黒谷とも呼称。大黒天出現の地という伝承から大黒谷と呼ばれていたのが黒谷になったという。聖や隠遁者が住んだ比叡山五別所の一つで青龍寺がある。黒谷僧都と呼ばれた天台宗の僧が浄土教を宣揚し、叡空、法然も居住して黒谷上人と称せられた
※別所…仏教寺院の本拠地を離れた所に営まれた宗教施設。聖とよばれる僧侶が寺院周辺などに集まって修行するために庵や仏堂を設けた場所。比叡山、醍醐寺、高野山ほか全国に所在した
※薫入(くんじゅう)…私たちの行いや心がどのように深層心理に刻み込まれ、結果として自らの運命や修行の妨げとなるかを説く重要な教義
※定恵の修行…定(じょう)とは雑念を払い、心を静めて精神を統一すること(禅定)。慧(え)とは真理を見極める智慧を得ること。つまり定恵の修行とは、仏道修行者として心を落ち着かせ(定)、真理を悟る(慧)ために行うべき本来の正しい修行
※四有(しう)…衆生が輪廻する、ある期間の生存状態を4種に分類したもの。中有・生有・本有・死有の四つ。
①中有とは、死んでから次の生を受けるまでのこと。
②生有とは、生まれる瞬間のこと。
③本有とは、生まれてから死ぬまでのこと。
④死有とは、死ぬ瞬間のこと
※仏果…仏道修行の結果として悟りを得て成仏すること









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