巻十三第三十四話 道祖神が菩薩になった話 

巻十三

巻13第34話 天王寺僧道公誦法花救道祖語 第卅四

今は昔、天王寺(大阪市天王寺区)に住む僧がいました。名を道公といいます。長年法華経を読誦して、仏道を修行していました。また、毎年熊野に詣でて安居(あんご、解説参照)に勤めていました。

さて、安居を終えて熊野を出、本の寺へ帰る途中、紀伊国の美奈部の郡(和歌山県日高郡みなべ町)の海辺を歩いて行くと日が暮れてきました。そこで、近くに生えていた大樹の根もとで一夜を過ごすことにしました。

真夜中ごろ、その樹の辺りへ馬に乗った二、三十人ばかりの人がやって来ました。「どういう人たちなのだろうか」と思っておりますと、その内の一人が、「樹のもとの翁はおるか」と声をかけました。すると、この樹の根もとから「翁はおります」と答える声があります。
道公はこれを聞いて驚き怪しんで、「この樹の根もとに人がいたのか」と思っておりますと、また馬上の人が「速やかに出てきて一緒について来い」と言います。すると樹の根もとから「今夜は参れません。馬の脚が折れてしまって、乗ることが出来ないのです。明日は馬の脚を直すか、他の馬を求めるか、いずれにせよ必ずやお供いたします。年老いておりますからとても歩いて行くということは出来ません」と答えました。馬上の人々はこれを聞くと皆、通り過ぎて行きました。

夜が白々と明けてくると、道公はこのことをとても怪しみ恐れて、樹の根もとをぐるぐると廻って探しましたが、人の姿は一切ありません。ただ、道祖神を形どって造ったものがあるだけでした。その形は古びて朽ち、多くの年月を経てきたものと思われました。男神の形だけがあり、女神の形はありません。その前には絵馬がありましたが、絵馬の脚のところが破れていました。道公はこれを見て、「昨夜の言葉はこの道祖神の言ったことだったのだ」と増々奇異に思って、絵馬の馬の脚の所の破れているのを糸で修繕して元のように置きました。道公は「このことを今夜はよく見て確かめよう」と思って、その日もこの樹の根もとに留まりました。

夜中ごろ、昨夜と同様に多くの馬に乗った人々がやってくると、道祖神もまた馬に乗って彼らと一緒に出て行きました。
夜が明けて、道祖が帰ったとの知らせと同時に、年老いた翁がやって来ます。どういう人なのか全く分かりません。道公に向かって拝み、「聖人が昨日、馬の脚を療治してくだされたによって、この翁も昨夜の公事(くじ)を勤めることが出来ました。この大恩に報いることは難しく思われます。私は、これ、この樹の根もとにおります道祖神です。ここに馬でやって来た多くの者どもは行疫神(ぎょうえきじん、ぎょうやくじん:流行り病を運んでくる疫病神)でございます。国の中を廻るときには、必ずこの翁を先導役とするのです。もし、それにお供しなければ、鞭で打たれ、罵られます。この苦は実に堪え難いものです。ですから、今すぐこの下劣な神の形を棄て、速やかに上品(じょうぼん、浄土に行く人の最上級)の身に生まれ変わる功徳を得たいと思います。それには聖人の力が必要なのです」と言います。道公は答えて「そのように宣われることはまことにありがたいこととは存じますが、私の力の及ぶところではありません」と言いました。すると道祖神がまた言いますことには、「聖人があと三日間、この樹の根もとに留まって法華経を誦されるのをお聞きしましたならば、私は法華経の力によってすぐにもこの苦の身を棄てて極楽に生まれられましょう」と言ったかと思うと掻き消すようにいなくなりました。

道公はこの言葉の通り、三日三晩、樹の根もとに留まって、誠心誠意、法華経を誦し続けました。四日目に、あの翁が現れました。道公を拝んで言いました。「聖人の慈悲心によって、私は今にもこの身を棄てて、貴き身を得ようとしています。補陀落山(ふだらくせん、解説参照)に生まれて、観音菩薩の眷属(部下)となり、やがて菩薩の位に昇るでしょう。これもひとえに法華経を聞き奉ったからです。聖人よ、もしこのことが嘘か真かお知りになりたければ、草や木の枝で柴の小舟を作ってそれに私の木像を乗せて海に浮かべ、それがどうなるかご覧ください」と言って、掻き消すようにいなくなりました。

その後、道公は道祖神の言葉に随い、すぐに柴の小舟を作って、この道祖神の木像を乗せ、海辺に行ってこの舟を海に浮かべましたところ、風も吹かず波も立っていないのに、柴の小舟は南を指して進んで行ってしまいました(補陀洛渡海した)。道公はこれを見ると、柴の小舟が見えなくなるまで泣く泣く礼拝して、帰りました。

また、その郷に年老いた人がありました。この人が夢で、この樹の下の道祖神が菩薩の形になって光を放ち、輝いて、音楽を発して南を指して飛び昇ったのを見ました。

道公はこれを深く信じて、本寺に帰ってからも増々法華経を誦することに熱心に取り組みました。

道公が語ったことを聞いて人々はみな貴んだと、語り伝えられています。

夫婦道祖神(長野県上田市)

【原文】

巻13第34話 天王寺僧道公誦法花救道祖語 第卅四
今昔物語集 巻13第34話 天王寺僧道公誦法花救道祖語 第卅四 今昔、天王寺に住む僧有けり。名をば道公と云ふ。年来法花経を読誦して、仏道を修行す。常に熊野に詣でて、安居を勤む。

【翻訳】 昔日香

【校正】 昔日香・草野真一

【解説】 昔日香・草野真一

安居…個々に活動していた僧侶たちが一定期間、一ヶ所に集まって集団で修行すること、およびその期間のこと。
インドでは雨期に草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて一ヶ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐ。また、洪水で外出できないことが多いため、必然的にうまれた習慣でもあった。
後に、雨期のある夏に行うことから、夏安居(げあんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。釈尊在世中より始められたとされ、仏教の伝来とともに中国や日本に伝わり、夏だけでなく冬も行うようになった(冬安居)。安居の回数が僧侶の仏教界での経験を指すようになると、その後の昇進の基準になるなど、非常に重要視された。

道祖神(どうそじん、どうそしん)…厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として主に道の辻に祀られている民間信仰の像。
中国で紀元前から祀られていた道の神「道祖」と、日本古来の邪悪をさえぎる「みちの神」が融合したものといわれる。道陸神(どうろくじん)、賽の神、障の神、幸の神(さいのかみ、さえのかみ)、タムケノカミなど、各地で様々な呼び名が存在する。道祖神の起源は不明であるが、11世紀に編纂された『本朝法華験記』には「紀伊国美奈倍道祖神」の説話が記されており、『今昔物語集』にも同じ内容の説話が記されている(本話)。
この話でも明らかであるが、神としての身分はきわめて低いとされた。

松川村道祖神(長野県北安曇郡)

本話ではわざわざ道祖神が男神であって女神はなかったとことわっている。道祖神は上の写真のように男女が対になった形で造形されることが多かったためだ。
また、夫婦の神像ばかりではなく、性器をかたどったものも多数つくられた。この話でも「下劣な神の形」と表現している。性器タイプのものだった可能性が高い。

公事
政務としての「公事」- 朝廷における政務及びそれに関連した儀式(朝儀)。
賦課としての「公事」- 荘園や公領、座などにおいて臨時に課せられた税。
訴訟としての「公事」- 裁判・訴訟

補陀落山(ふだらくせん)…観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山。『華厳経』『千手経』、『陀羅尼集経』など、多数の経典に見られる。南インドの海浜の山の東にある、八角の形状をした山であるといわれている。興福寺の南円堂の円形はこれを模している。
玄奘は『大唐西域記』巻第十で、補陀落〔布怛落迦〕山は南インドのマラヤ〔秣剌耶〕山の東にあると記している(マラヤ山はケーララ州のカルダモン丘陵に当たるとされる)。

観音信仰が隆盛になると霊地として「補陀落」の名称が各地で広まった。特に中国では現在の浙江省にある舟山群島を補陀落(普陀山)として遠隔地にまで観音信仰が広がった。また、日本でも熊野や日光が補陀落になぞらえられ、信仰を集めた。日光の二荒山(ふたらさん)は補陀洛山を表している。

中世には、観音信仰に基づき、熊野灘や足摺岬などから小船に乗って補陀落を目指す「補陀落渡海」がさかんに行われた。

那智参詣曼荼羅(熊野那智大社)。最下部右側に補陀落渡海船を描く。渡海船の上の寺院が補陀洛山寺

音楽…仏教と音楽の関係は、釈尊の在世時より見られる。
初期の仏教は当時インドで支配的だったバラモン教(ヴェーダの宗教)の亜流であるから、多くのものをバラモン教から得ている(輪廻思想は仏教の根幹であるがもともとバラモン教にあったものだ)。音楽もまた、バラモン教のものが踏襲されたと思われる。
日本の音楽=雅楽は仏教音楽を土台に構築された。

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