巻13第36話 女人誦法花経見浄土語 第卅六
今は昔、加賀(石川県)の前の国司である源兼澄という人がありました。その娘として一人の女人がいました。明敏であり、年若いときから仏の道を心にかけて、法華経を受け学び、日夜読誦して、何年もが経ちました。しかし、無量義経と普賢経は学んでいませんでした。
ある時、彼女が病となり、何日かほどで亡くなってしまいました。ところが、一晩経つと生き返り、傍にいた人に語りました。「私が死んだとき、いきなり屈強な人が四、五人やって来て、私を追い立て、遥かに野山を過ぎて連れて行くと、大きな寺がありました。彼らはその寺に私を連れて入りました。寺の門を入って見ますと、金堂、講堂、経蔵、鐘楼、僧房、門楼などとてもたくさん造り重ねてあり、その荘厳(しょうごん:おもおもしく厳かであること)なことは言葉では言い表せないほどでした。その中には、天冠を戴いた天人や瓔珞(ようらく。ネックレス)をかけた菩薩が数え切れないほどおられました。また、年老いた高貴な聖もたくさんおられました。私はこの様子を見て『もしかするとここは極楽なのかしら。それとも兜率天なのかしら』と思っていました。するとその時、一人の僧が現れて告げました。『この女人はどのようにしてこの寺に来たのか。そなたは法華経を誦すること多数なればこそこの寺に来られるのだ。しかし、今はまだ早すぎる。速やかにもとの国(現世)へ帰りなさい』。私がこれを聞いて一つのお堂を見ますと、そこには多数の法華経が積み置かれていました。僧はこれを見て、『そなたはこの法華経を知っているか、知らぬか』と訊きますので知らないと答えますと、僧は言いました。『この経はそなたが永年に渡り読誦するところの経である。そなたはその善根によって、来世はこの場所に生まれて楽を受けるのである』私はこれを聞いてどれほど嬉しく思いましたことでしょう。また、高い御堂の一つに仏がおわしまして、金色の光を放って辺りを照らしていらっしゃいます。けれど袈裟でお顔を覆っておいででしたので、ご尊顔を拝することは叶いませんでした。仏は、それはそれは美しいお声で告げられました。『そなたは法華経をよく読誦しているので我が身を見せ、我が声を聞かせるのです。速やかにもとの国へ戻り、さらによく法華経を読誦しなさい。また、無量義経・普賢経も、同様によく読誦しなさい。これらは他を差し置いても読誦するべき経です。その時にこそ、私はそなたに我が顔を隠さず見せましょう。私こそは、釈迦如来です』と宣われ、天の童子二人を供に副えて私を送ってくださいました。それで、その天の童子二人と共に来て、家の中に入った途端に私は生き返ったのです」
その後、病が癒えてからは、ますます心を尽くして法華経を読誦しました。また、それに副えて無量義経・普賢経をも読誦しました。
このことについてよくよく考えてみますと、釈迦如来は涅槃に入り給うてからは、このように衆生の前に極楽浄土をお建てになるとは考えられない(浄土の仏=阿弥陀如来と考えられた)ので、これはきっと、法華経読誦を増々励ますために霊鷲山を見せ給うたのではありますまいか。また、無量義経は必ず法華経に副えて読誦するべき経です。仏の教えはまさしくこの通りなのです。これを聞く人は皆、聞き継いで語り伝えたということです。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
※無量義経…法華経と普賢経(観普賢菩薩行法経)とともに、三法華経の一部である。多くの大乗仏教徒はこれを法華経の序章と考えており、法華経の第一章では、仏陀が法華経を説く直前に無限の意味を説いたと述べられている
※普賢経…観普賢菩薩行法経のこと。法華経の教えをふまえた観法の実践を説くので、法華経の直後にその内容を承けて締めくくる経典(結経)と位置づけられた。法華経のラストに登場するキャラクターが普賢菩薩であることも関連する。無量義経(開経)と法華経(本経)と普賢経(結経)を合わせて法華三部経と呼ばれる
※霊鷲山…インドのビハール州のほぼ中央に位置する山。現在のラージギルの東方にあるSaila-giriの南面の山腹にあり、現在はチャタ(Chata)山と呼ばれている。釈迦の在世時、マガダ国(当時の大国)の首都だった王舎城(ラージャグリハ)の東北にある。
この山は長らくの間、場所が不明であったが、1903年(明治36年)1月14日朝、大谷光瑞が率いる第一次大谷探検隊が朝日に照らされたこの山を仏典上の霊鷲山と同一と確定した。数年後、インド考古局の長官ジョン・マーシャルの調査によって国際的に承認された。
マガダ国の国王ビンビサーラ王も、車を降りてその参道を登ったといい、王の要請により布薩制(ふさつ、懺悔の儀式)を設けられた。










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