巻13第39話 出雲国花厳法花二人持経者語 第卅九
今は昔、出雲国(島根県)に二人の聖がありました。一人は華厳経を受持し奉っていました。名を法厳といいます。もう一人は法華経を受持し奉っていました。名を蓮蔵といいました。この二人の聖人は、共に元大安寺(奈良の南都七大寺の一つ)の僧でした。二人とも各々別の縁があって、もとの寺を去ってこの国に来て住していました。どちらも心持ちは真っ直ぐで、身を清く保っていました。
さて、法厳聖人は華厳経を誦すること、既に二十年になりますが、常に日々の食事が心に叶わないことを嘆いていました(布施の不足)。その時、護法善神(仏教の教えや信仰者を守る神々)が、人間の姿になって現れ、聖人に告げられました。「私がそなたのために檀家となって毎日供物をそなえよう。それ故、これからは日々の食を嘆くことなくして、専らに大乗仏教(華厳経)を修行せよ」
聖人はこれを聞いて喜び、毎日この供物を受けて、嘆くこともなくなり何日かが経ちました。あるとき、法厳聖人はこの善神に申しました。「明日の朝は二人分の供物を持ってきてくださりますまいか。私は法華経の持者を招いて、食べさせてやりたいと存じます」善神は聖人の言に随って明日の朝に二人分の供物を供えることにしました。
そこで、法厳聖人は蓮蔵聖人を招きました。蓮蔵聖人はすぐにやって来ました。善神が食事を持ってくるのを待っていましたが、一向に持ってくる気配がなく、食事の時間は過ぎて日暮れになったため、蓮蔵聖人は帰りました。その時、善神は食を持って現れ、法厳聖人に語りました。「昨日の聖人の言葉の通り、早く食事を持っていこうと急いでいたところ、法華経の守護の聖衆(しょうじゅ。極楽浄土に往生を願う人の臨終に阿弥陀仏と共に来迎する諸菩薩)、梵天、帝釈天、四大天王(持国天・増長天・広目天・多聞天の四守護神)が法華経の持者をぐるりと取り囲み、四方に満ちていたので、その側に寄りつくことが出来ませんでした。ましてや、道を得ることなどどうして出来ましょう。このため、私は朝から今まで、供物を捧げながら、持ち来たることが出来なかったのです。法華経の聖人が帰り去られると、護法の聖衆も同じように去られましたので、ようやく持って来ることが出来ました」
法厳聖人はこれを聞くと、「なんと珍しく貴いことか」と貴び敬って、自ら供物を捧げて蓮蔵聖人のところに行って、供養して礼拝しました。
その後、法厳聖人は法華経の功徳がとりわけすぐれていることを知って、華厳経に副えて法華経をも受持し、蓮蔵聖人に帰依したと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
※華厳経…インドで伝えられてきた様々な独立した仏典が、4世紀頃に中央アジアでまとめられたものであると推定されている。
中国では華厳経に依拠して地論宗・華厳宗が生まれた。特に華厳宗は雄大な重重無尽の縁起を中心とする独特の思想体系を築き、日本仏教史にも大きな展開を起こした。
上代日本へは、大陸より審祥が華厳宗を伝来し、東大寺華厳経の講義を3年間に及び行なった。東大寺は今日まで華厳宗大本山である。
「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示され、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」と音写される。毘盧舎那仏は、真言宗の本尊たる大日如来と概念的に同一の仏である。
※大安寺…奈良県奈良市大安寺にある高野山真言宗の寺院。山号はなし。本尊は十一面観音。開基は舒明天皇と伝える。南都七大寺のひとつで、奈良時代から平安時代前半までは、東大寺や興福寺と並ぶ大寺であった。現在は癌封じの寺として有名である












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