巻十三第四十話 米の入った瓢箪が満ちた話

巻十三

巻13第40話 陸奥国法花最勝二人持者語 第四十

今は昔、陸奥国(むつのくに。東北地方の太平洋側)に二人の僧がありました。一人は最勝王経(解説参照)を受持していました。名を光勝といいます。もう一人は法華経を受持していました。名を法蓮といいました。もと興福寺(奈良市)の僧でした。もともとこの国の生まれでしたので、各々もと居た寺を去り、帰って来て住していました。この二人の聖人は心は直く身は清く、自らの受持する経にて霊験を施していました。そのため、国中の人々が、限りなく崇め奉っていました。

さてある時、光勝聖人は法蓮聖人に、こんな話を持ちかけました。
「そなたも、法華経など棄てて、最勝王経を受持すべきです。と言うのも、最勝王経は、その奥深さでは他のどの経よりも勝れているからこそ、最勝王経と言われているのです。そのため、朝廷も御斎会(ごさいえ/みさいえ)と名付けて、年始にこの経を講義させておられるのです。また、諸国でも、吉祥御願(きっしょうごがん)と名付けて、各国分寺にて講説を行わせています。また、朝廷は最勝会(さいしょうえ)と名付けて薬師寺でこの経の講義を行い、法会も行わせておいでです。それであるから、公私共にこの経を最も貴んでいるのですよ」
法蓮聖人はこれを聞いて言いました。
「御仏の説かれた経なのですから、どの経も、貴くないということはありますまい。私は前世からの因縁に引かれて、長年法華経を受持しているのです。どうして急に法華経を棄てて最勝王経を受持することができましょうか」
光勝聖人は法蓮聖人にそれ以上勧めるのが面倒になり、黙ってしまいました。

その後、光勝聖人は最勝王経の威力を頼りにして、折にふれて法華経を受持する法蓮聖人を煩わせましたが、法蓮聖人がそれに耳を貸すことはありませんでした。

すると、光勝は言いました。「この二つの経(最勝王経と法華経)のどちらがより勝れた経であるのか、勝ち負けをはっきりさせましょう。法華経の験の方が勝れているならば、私は最勝王経を離れて法華経に随いましょう。また、もし最勝王経の験の方が勝れているならば、法蓮よ、そなたは法華経を離れて最勝王経を受持なされよ」と、このように言っては見たものの、法蓮はやはり気に留める様子もありません。光勝はまた言いました。「それなら、我ら二人で、各々一町(約1ヘクタール)の田を作って、今年の出来具合の優劣で、二つの経の験の優劣を知らしめようではないですか」郷の人々はこれを聞いて、それぞれ一町の、同じくらいの状態の田を二人の聖人に預けました。

光勝聖人は、田に水を引くと、心の底から申すことには、「最勝王経の御力によりて、種を蒔くことも苗を植えることもなく、今年の収穫を増やしてくださいませ」と祈請して田を作りました。一町の田の苗は皆、見事に生い茂りました。月日の経つに従い、誠に豊かな実りを得ました。法蓮聖人は、田を作ることもせず、かと言って他の人に頼んで作ってもらうこともしませんでしたので、荒れ果て、草ぼうぼうに生い茂っていました。ですので、馬や牛が好き放題に入って来てその草を食べ憩っていました。国内の上中下の人々(身分の高い人も低い人も)はこれを見て、最勝王経の聖人を貴び、法華経の聖人を軽んじました。

そうする間、七月の上旬に、法蓮聖人の田一町の中央に一本の瓢箪が生えました。しばらく見ていますと、枝が八方に指して、一町の田の中に生い茂り、満ちひろがりました。丈の高い茎もあり、隙間もありません。二、三日ばかりすると花が開き、実がなりました。一つ一つの瓢箪を見ると、どれも壺のように大きく、それらが隙間なく並んでいます。この様子を見て、人々はみな光勝聖人の田を讃めたたえました(法蓮の田を笑った)。
法蓮聖人は、田の瓢箪を見て、不思議な思いがして、一つ取って割ってみたところ、中には精米された米がぎっしりと満ちていました。米の粒は丸々として、その白いことは雪のようでした。聖人はこれを見て、何と不思議なことだろうかと思い、升で米を量ってみますと、一つの瓢箪の中に五斗(約90リットル)の白米が入っていました。また、他の瓢箪を割ってみても、みんな同じように米が入っていたのです。

そこで、法蓮聖人は喜び、感激して、郷の人たちにこのことを告げて見せました。その後、この米を経に供養し、諸僧を招いて振る舞いました。また、一、二個の瓢箪を光勝聖人のもとに送り届けました。光勝聖人はこれを見て妬む心はありましたが、法華経の威力につくづくと感じ入り、貴んで、法蓮聖人を軽んじたことを悔い、心をかえて法華経に随いました。すぐに法蓮聖人のところへ行って礼拝し、懺悔したのです。

法蓮聖人は、その瓢箪の米を国中の道俗男女(すべての人)に施し与えました。
人々は思うがままに瓢箪を持っていきましたが、十二月になるまで瓢箪は枯れず、取れば取るほど実がなるのでした。これを見聞きした人は、法華経の威力こそが最も勝れていることを知って、法蓮聖人に帰依したと、語り伝えられています。

【原文】

巻13第40話 陸奥国法花最勝二人持者語 第四十
今昔物語集 巻13第40話 陸奥国法花最勝二人持者語 第四十 今昔、陸奥の国に二人の僧有けり。一人は最勝王経を持(たも)つ。名を光勝と云ふ。一人は法花を持つ。名を法蓮と云ふ。本興福寺の僧也。此の国、本の生国なるに依て、各本寺を去て来り住す。此の二人の聖人、皆心直く身清くして、各法花最勝を持て、霊験を施す。然れば、国...

【翻訳】 昔日香

【校正】 昔日香・草野真一

【解説】 昔日香

※(金光明)最勝王経…我が国では天武朝(天武天皇の在位期間)以降、護国の経典として重視されてきた。奈良時代には、聖武天皇による国分寺造立の詔で、国分僧寺に納経が命じられた

※御斎会…古代から中世に渡って宮中で行われていた仏式の正月行事。毎年正月8日から14日までの7日間にわたり大極殿にて『金光明最勝王経』を講説する法会

※吉祥御願…日本の古代から中世にかけて、国分寺や法隆寺・興福寺などの諸大寺で国家や万民の幸福、天下泰平を祈るために行われた年始の法会

※最勝会…日本三大会(南京三会)と呼ばれた法要の一つで、護国経典とされる 『 金光明最勝王経』 について講師が講義し国家安泰や五穀豊穣などを願う

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