巻13第43話 女子死受蛇身聞説法花得脱語 第四十三
今は昔、西の京に住する人がありました。身分の賤しくない人でした。この人に一人の娘がありました。形貌端正で、心の優しい子でしたから、父母はこの子を愛し、この上なく大切に慈しんで育てていました。
十余歳ばかりになると、字を書くことは人に勝り、和歌を読むことも、他に並ぶ者なく、また、音楽の方面でも才能を発揮して、ことに箏(しょうのこと。十三弦の琴))を弾くことには非常に熟達していました。
さて、その人の屋敷は広く、檜皮葺(ひわだぶき:檜の樹皮を何層にも重ねて竹釘で留めていく屋根工法)の建物もたくさんありました。そのしつらえ方も様々で、とても興味深いものでした。庭の遣水(やりみず。庭に引き込んだ人工の小川)も風情があり、春の花々や秋の紅葉なども、趣きのある素晴らしいものでした。
そうする間、父母はひたすら娘を愛して過ごしておりましたが、娘はただ花を愛で、紅葉に興じるより他の心はないようでした。
やがて、何を思ったのでしょうか。桜の花が霞の中から綻びていくように見えるのも、青柳の糸が風に吹き乱されるのも悪くはないし、秋の紅葉の錦を裁って重ねたように見えるのも見事で、小萩の藪が露に濡れたり、籬(まがき:竹や柴などを粗く編んだ垣根)の菊が様々に移り変わっていくのも皆それぞれに趣があるというのに、ただ紅梅のみに心奪われ、ひたすらこれに心を寄せて、賞翫するようになりました。
東の高殿の前に紅梅を植えて、花の頃には早朝から竹で編んだ格子を上げてただ独りこれを見ては、無心にこれを愛しました。その芳香を愛でて、夜になるまで内に入ろうともせず、その木の周囲には草も生やさず、鳥も追い払ってしまいます。花散る時になると、木の下に落ちた花を拾い集めて、塗物(硯箱や文箱)の蓋に入れ、しおれてしまうまでその匂いを楽しむのです。風の吹く日には、木の下に敷物を敷いて花を外に散らさぬようにして、取り集めておきます。切なる想いから、花が枯れてくれば、練り香に焚き合せてその匂いを少しでも取っておこうとするのです。また、その中にも小さな梅の木を植えて、これが花咲くのを見ては、他念なく喜ぶのでした。
こうしている間に、この娘は何とも言えず気分が優れなくなって、さして重病と言うほどではないのですが、床に臥せるようになりました。日数を経て病が重くなり、父母はこの上なく悲しみましたが、娘は亡くなってしまいました。父母は娘を惜しんで嘆き悲しみましたが、このままにしておくわけにもいきません。葬送を済ませると、集まってきた人も帰っていきました。その後は、この紅梅の木の下を見るだけでも、娘が思い出され、惜しみ悲しみました。
そうするうち、この木の下に1尺(約30cm)ばかりの小さな蛇がいるのが見つかりました。「ただのどこにでもいる蛇だろう」と人々は思っていましたが、翌年の春、昨年見つかった蛇がまた出て来ました。木に巻き付いて去ろうとせず、花が咲いて散るときになると、蛇が口にくわえて花びらを集めて一か所に置くのを見て、父母は「この蛇は、亡くなった娘が生まれ変わった姿に違いない。哀れに悲しいことだ」と、思いはするものの、「蛇などに姿を変えるとはうとましいことだ」と嘆き悲しんで、清範、厳久などの徳の高い僧を招いてこの木の下で法華経を講じていただき、八講の法会(法華八講。解説参照)を行いました。するとこの蛇は木の下を去らず、初日から講に聴き入っていました。
五巻の日(解説参照)、清範が座の講師として、竜になった女が蛇心を捨てて成仏したというくだり(女人往生を説いた提婆達多品の眼目のひとつ)を説きますと、聞いていた人々も心動かされ、涙を流して「情け深いことだ」と聞いていましたが、その蛇は木の下にいながら、その座にて死んでしまいました。父母を始めとして、その座にいた人はみんな、これを見て涙を流して哀れみました。
その後、娘の父の夢に、生きていた頃の娘が、汚らしく汗染みた衣を来て、心に思い悩んだことがある様子で現れました。そこへ貴い僧がやって来て、その衣を脱がせると、娘の膚は金色に透き通っていました。そこに素晴らしく美しい衣や袈裟を着せて、僧が自ら娘を引いて立たせ、紫の雲に乗せて去ったのを見て、夢から覚めました。
本当にこれは偏に法華経の御力です。「蛇身であったとは言え、法華経を説く座にいて死んだのだから、疑いなく、法華経を聴聞したことによる功徳によって、必ずや蛇身を棄て、浄土に生まれたに違いありません」と、みんな言って貴びました。まして、五巻の日に、竜女が成仏したというくだりを説いた暁に死んだということは、聞くだけでも心動かされることだ、と語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
※清範…962~999。播磨(兵庫県)の人。法相(ほっそう)宗。興福寺の守朝の弟子。大和(奈良県)子島寺の真興にもまなび、博学で文殊菩薩の化身といわれた。権律師(ごんのりっし)。清水律師とよばれた
※厳久(げんきゅう/ごんく)…平安時代中期に活動した天台宗の僧侶であり、藤原兼家の計画に加担して花山天皇を出家させ退位させた寛和の変の実行協力者
※八講の法会…法華八講。全八巻の法華経を一日二巻ずつ読む法会。
※五巻の日(いつまきのひ)…法華八講の第三日、朝座の法会。第五巻の提婆達多品を読み、薪行道(たきぎのぎょうどう)を催す。八講のうち最も盛大な儀式のある日










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