巻13第44話 定法寺別当聞説法花得益語 第四十四
今は昔、法性寺の南側に定法寺(現在は廃絶)という寺がありました。その寺の別当(寺院を管理する役職)として一人の僧がいました。身なりは僧形でしたが、三宝(仏・法・僧)を敬わず、因果を悟らず、常に碁・双六などの賭け事を好んで、ばくち打ちを集めて遊び興じていました。また、様々な遊女(あそびめ)や傀儡(くぐつ)などの歌女を呼んでは詠い遊ぶのを常のこととしていました。ほしいままに仏の物(供物)を取り使い、善根を積むこともなく、肉食酒色を以て日々を過ごしていました。
ある時、親しくしている僧で、同じような者がいました。十八日(観音の縁日)に、「私は今日、清水寺へ参る。君と一緒に参りたいと思うが、どうだ」と誘われました。別当は気が進みませんでしたが、僧の気持ちに背くまいと、嫌々ながら参ることを承知して、一緒に参詣しました。
還向する(げこう。帰る)とき、この僧が「今日は六波羅蜜寺で講(法会)がある。ぜひ来給え。参って聴聞しよう」と言いました。そこで、別当は僧の言うことに随って寺に参り、法華経の講を聴聞しました。別当は法華経を説いているのを聞いて、一瞬「貴いな」と思って帰って来ました。別当は一生の間に、これ以外の善根はありませんでした。
そのうちに、年月は次第に積もって、別当は病気で亡くなりました。その後しばらくして、別当の妻に悪霊が憑いて、涙を流して泣き悲しんで言いました。
「私は、お前の夫である。前生に悪行を好み、善根を積むということがなかった。それで私は今、大毒蛇の身となって、苦を受けることは量り知れない。身体は火に焙られているように熱い。また、多くの小さな毒虫が鱗の下を棲家として、私の皮や肉を吸い食らうので、堪え難いほどだ。また、水や食糧を求めても、非常に得難く、常に乏しい。このような苦は言い尽くすことが出来ないくらいだ。ただ、一つの善根によって、ほんの一時だけ楽になる時がある。生きていたとき、人について清水寺に参詣して、還向のついでに六波羅蜜寺で法華経を講じていたのを聞き、一瞬、貴いと思ったのだ。その功徳は我が身の中にあって、毎日未の刻(午後二時頃)に六波羅の方から涼しい風が吹いてきて、私の身体に吹きつけるので、熱による苦は忽ち消えて、小さな毒虫も身を食らわなくなる。しかしその一時が過ぎると、私は頭を上げ、尾を叩きつけて血の涙を流し、生前のことを悔い恨むのだ。功徳を修さなかったと言えども、一度法華経を講じていたのを聞き、貴いと思ったことで、永年このご利益を得ている。ましてや、一生の間功徳を修していたならば、このような苦を受けなかったことだろう。また、極楽にも行けていたかもしれない。法華経の功徳は量り知れない。私が願うのは、私のこの苦を救うために、おまえたちが法華経を書写供養し奉って、私を助けることである。このことを示すために、おまえに憑いて告げるのだ」
妻子はこれを聞いて、泣き悲しんで、全財産をなげうって、法華経一部を書写し、供養し奉りました。
その後また、悪霊が妻に憑いて告げることには、
「おまえたちが法華経を書写し、供養し奉ってくれたおかげで、私の苦は随分弱まり、助かった。嬉しいことだ。この恩は決して忘れまいぞ」
仏の物をほしいままに勝手に用いて、功徳を修さずに、これを償わなかったのは、非常に愚かなことです。このように、三悪道(地獄・餓鬼・畜生の世界)に堕ちて悔い悲しむことにならずに済んだかもしれませんのに。心ある人は、このことを知って、專らに功徳を修し、永く罪障をとどむるべきでしょう、と語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
※傀儡(くぐつ)…漂白の芸能者。人形を使って歌や舞、奇術や軽業などの芸を披露した。女性は売春なども行っていた
※歌女(かじょ、うため)…酒宴の席にはべり、音楽、舞踊などでその興を助けるのを業とする女。うたいめ。歌妓。芸妓











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