巻十四第十二話 経文の二字だけを忘れてしまう話

巻十四

巻14第12話 醍醐僧恵増持法花知前生語 第十二

今は昔、醍醐寺に僧がありました。名を恵増といいます。法華経を習ってこれを誦し、他の経はまったく読みませんでした。真言も覚えませんでしたし、顕教(教義)も学びませんでした。まして、俗典(仏教以外の書)を好むはずもありません。ただ一心に法華経を読み続けるうち、薫修つもって、経を暗唱できるようになりました。

醍醐寺(京都市伏見区)

ところが、方便品(全28章中の第2章)の比丘偈に語られた二字のみ覚えることができません。長いこと心をつくし覚えようとしましたが、どうしてもその二字だけ忘れてしまいます。経文に向かっていれば覚えているのですが、離れると忘れてしまうのです。

誦していてこの箇所に来ると、我が身の罪性の深い事を歎きました。
「忘れるなら他のところを忘れることもあるだろうに、この二字にかぎって覚えられない。きっと何か理由があるのにちがいない」
長谷寺に参り、七日間籠居して観音に申しあげました。
「願くは大悲観世音よ、私にこの二字を覚えさせてください」
そう祈請して七日目の夜の明け方、恵増は夢を見ました。
御帳の内より老僧が出てきて、恵増にこう告げたのです。
「おまえが願う経の二字を、私が覚えさせてやろう。また、この二字を覚えられない理由を教えてやろう。おまえは今生だけではなく、前生も人だった。前生は、播磨の国賀古の郡(兵庫県明石市・加古川市)に住んでいた。おまえの父母は、まだそこに住んでいる。おまえは前生、その地で僧であったが、火に向かって法華経第一巻(全八巻、方便品は第一巻)を読誦しているとき、火花が飛んで経の二字に当たり、その二字を焼いてしまった。おまえはその焼けた二字を補わずに死んでしまったのだ。それゆえ、今生に経を誦しても、その二字だけ読むことができない。経は今なおその地にある。すみやかにかの国に行き、経を礼して、二字を書き綴り、宿業を懺悔せよ」
そう聞いて夢から覚めました。その後、経を誦しても、二字を忘れることはありませんでした。恵増は喜び、観音に礼拝して、醍醐寺に帰りました。

長谷寺(奈良県桜井市)

前世のことをさらに知りたいと考え、播磨の国賀古の郡をたずねました。夜になってかの地に着き、ある人の家に宿りました。家の主が恵増を見て驚きました。先年失った子の僧にそっくりだったのです。夫妻はともに「我が子が帰ってきた」と言って泣きました。

恵増は観音の示しにしたがって来たことをもらさず語りました。父母はこれを聞いて涙を流し、先年に子の僧を若くして亡くしたことを語りました。子の持経を出してもらい見ると、あの二字が焼け失われていました。

かぎりなく悲しむとともに、その二字を書き綴り、永く持経として読誦しました。父母は恵増を前の子と同じようにかわいがり大事にしました。恵増は前生と今生、四人の父母を敬い、孝養報恩しました。法華経の力と観音の利益(りやく)によって前生の事を知り、いよいよ信を発したと語り伝えられています。

【原文】

巻14第12話 醍醐僧恵増持法花知前生語 第十二
今昔物語集 巻14第12話 醍醐僧恵増持法花知前生語 第十二 今昔、醍醐に僧有けり。名をば恵増と云ふ。頭を剃てより後、法花経を受習て日夜に誦し、更に他の経を読まず。亦、真言を持(たも)たず。顕教を習はず。何に況や、俗典を好まず。只一心に法花経を読奉ける間に、薫修積て暗(そら)に思えぬ。

【翻訳】 草野真一

【解説】 草野真一

恵増に道を示した「老僧」が観音であると明示的に表現されてはいない。
しかし彼は「御簾の内から」出てきたのである。御簾とは長谷寺本尊(観音菩薩)の前にかけられた垂れ幕であり、老僧は(本尊しかいないはずの)御簾の内から出てきたのだ。

長谷寺本尊 十一面観音立像

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