巻14第17話 金峰山僧転乗持法花知前世語 第十七
今は昔、金峰山に僧がありました。名を転乗と申します。大和国(奈良県)の人です。たいへん荒っぽい心を持っていて、常に怒りと怨みの心を持っていました。
幼い日より法華経を習い、日夜読誦して、「暗(そら)で覚えたい(暗唱したい)」と思い、ひたすら読誦して六巻を覚えました(全八巻)。残りの七、八の二巻を覚えようとはしませんでした。
あるとき、「残りの七、八巻を覚えよう」と思いたち、誦しておりましたが、年月を経ても覚えることができません。転乗は「それでも」と考え、七、八巻の一句一句を二、三べんつずつ誦しましたが、かないませんでした。転乗は蔵王権現の御前に参り、一夏九十日間籠もって、日に六度の定時に閼伽(聖水)・香炉・灯をそなえ、夜毎に三千べんの礼拝をして、二巻の経を覚えられるように祈請しました。
一夏安居の終わりの日、転乗の夢に竜の冠をした夜叉(鬼神)のすがたの人が、天衣と瓔珞(ネックレスやブレスレット)で身を飾り(天人の扮装)、手に金剛杵をもち、足に花蘂(蓮のおしべ・めしべ)を踏み、眷属(家来)にかこまれて現れました。
「おまえは前生からの縁がないので、七、八の二巻を覚えられないのだ。おまえは前世、毒蛇だった。そのすがたは長く大きく、三尋半(約6メートル)あった。播磨の国赤穂の郡(兵庫県赤穂郡)の山間の宿に住んでいた。ある日、一人の聖人がその宿に泊まった。毒蛇は宿の棟の上にあって思った。
『私は久しく食べていないので飢えている。この人はそこにやってきて宿した。今からこの人を食べよう』
聖人は自分が蛇に食われることを知り、手を洗って口をそそぎ、法華経を読誦しはじめた。毒蛇はこれを聞いて、毒害をやめ、目を閉じて一心に経を聞いた。第六巻が終わるとき夜が明けたので、聖人は七、八の二巻を誦せずに宿を出た。その毒蛇がおまえなのだ。害する心をおさめて法華経を聞いたことで、おまえは何度か生まれ変わり、人の身を得た。そして僧となって法華経の持者となった。ただし、七、八の二巻を聞かなかったために、今生でも暗で誦することができない。また、おまえは猛々しい心を持ち、常に怒り、怨みの心を持っている。それは毒蛇の気性である。おまえは一心に精進して法華経を読誦しなければならない。今生にはかならず求めるところを得るだろう。後生には生死を離れる(悟りを開く)ことができるだろう」
そこで夢から覚めました。
転乗はさらに深く信心するようになり、いよいよ法華経を誦しました。嘉祥二年(849年)、貴く亡くなったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
舞台が吉野の金峯山、祈念の対象が日本独自の仏・蔵王権現であることから、主人公は修験道の行者(山伏)であることがわかる。法華経は山伏にもっとも重んじられた経典であった。
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