巻17第17話 東大寺蔵満依地蔵助得活語 第十七
今は昔、東大寺に一人の僧がありました。名を蔵満といいます。義蔵律師の弟子です。
蔵満が所用あって東大寺から京に上る途上、登昭という人相見として名高い人に出会いました。蔵満はとても喜んで言いました。
「あなたに会ったのはたいへん幸福です。ぜひ、私の身の上を占ってください」
登昭は言いました。
「あなたは仏の教えを学び、高貴な身となりました。しかし、命は短いでしょう。四十歳までは生きられません。もし、もっと生きたいと願うならば、心をつくして菩提心(仏を求める心)をおこしなさい。私はほかには言えません」
これを聞いた蔵満は大いに歎き悲しみました。すぐに東大寺を離れ、笠置の岩窟(京都府相楽郡笠置寺)に入り、菩提心をおこして苦行しました。六時(朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜)に行道し、一心に念仏を唱えました。また、持斎(一日一食)して、毎朝、地蔵菩薩の宝号を百八回唱えました。これを毎日の所作として、忘れることはありませんでした。
蔵満は三十歳になった年の四月(旧暦、現在の六月ごろ)、身に中風の病(感冒の一種)を受け、衰弱して魂が動き、死にました。
青い衣を着た官人(冥府の役人)が三人やってきて、大いに怒りながら蔵満を捕えました。蔵満は大声で叫びました。
「私は浄行した真実の行者です。三業六情(身のあらゆる感官)において法を犯したことはありません。昔、雄俊という極悪邪見の人があったといいます。しかし、命が終る時、念仏の力によって、地獄の猛火が清涼の風に変わり、仏の迎接に預り、極楽世界に往生したと伝えられています(中国の故事)。私は念仏を唱え、地蔵菩薩への悲願を述べました。どうしてこれが意味のないことと言えるでしょう。もし、私が冥府に行くとすれば、三世の諸仏および地蔵菩薩の大悲の誓願はなかったことになります」
冥府の役人はこれを聞くと、蔵満を責め問いました。
「おまえはそういうが、証拠がないではないか」
「諸仏菩薩の誓願に虚妄はありません。もし私の言がかなわなかったら、諸仏菩薩の真実不虚の誠の言が虚妄だということになってしまいます」
そのとき、ひとりの小僧があらわれました。端厳美麗、光を放っていました。その横には五六人の小僧がひかえ、さらに三十余人の小僧がしたがっていました。みな美しい姿をして合掌していました。
冥府の役人は言いました。
「この僧は大善根の人です。南方(地蔵の浄土)の菩薩聖衆がこのようにやってきています。今、私たちはこの僧を棄てて去ります」
役人は菩薩たちに向かい、掌を合せて礼拝し、去りました。
首席の菩薩が蔵満に言いました。
「おまえは私を知っているか。私は、おまえが毎朝念じている地蔵菩薩である。大悲の誓願によって、人が眼を守るように、おまえを守っている。おまえは流転生死業縁の引く所によって(前世の因縁によって)、今、召されたのだ。おまえはすぐに閻浮(娑婆)にかえり、往生極楽の望みを遂げよ。ゆめゆめ再びここを訪れることがあってはならない」
蔵満は生き返りました。一日一夜が経っていました。
その後の蔵満はさらに堅く道心を発し、怠ることはありませんでした。齢九十にいたっても、身に病はなく、行歩も軽いまま、命終る時に臨みました。そのときを知っていたようです。念仏を唱え地蔵菩薩を念じ、西に向かって合掌して入滅しました。
「これはまさに地蔵菩薩の助けである」
聞く人は涙を流して貴んだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
蔵満が行道した笠置は、奈良県と京都府の境にある。高山ではないが、山中のあちこちに花崗岩の巨石が露出し、さまざまな岩石彫刻がある。東大寺とはゆかりが深く、のちに後醍醐天皇が挙兵したことでも知られる。
冥府と地蔵菩薩の関係がよくわかる話。十七巻には地蔵説話が収められているが、しばらくよみがえりの話が続く。
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