巻17第18話 備中国僧阿清衣地蔵助得活語 第十八
今は昔、備中の国窪屋の郡大市の郷(岡山県倉敷市)に古老の僧がありました。名を阿清といいます。俗姓は百済の氏です。阿清は紀寺(きのてら、奈良県にあった寺)の基勝律師の弟子でしたが、現在はそこを去り、生国に帰っていました。修験を好み、幾多の山をめぐり、海を渡り、難行苦行していました。
阿清が二十四、五歳になったころ、世に疫病がはやりました。死する者も多くいました。これをおそれ、本寺に返ろうとしたとき、阿清は数日で重い病を得て、命を落としました。ともに旅していた弟子は恐れをなし、阿清を棄て逃げ去ってしまいました。
一両日後、阿清は生き返りました。道を歩く人にこう語りました。
「私は、しかじかの者です。修行を中断して本寺に戻る途上、病を受けて、たちまちにして死にました。
私は広路を西北の方に歩いていきました。すぐに門楼に至りました。門の内には堂々としたいかめしい建物が並んでいました。検非違使の庁(けびいしのちょう、警察庁)に似ていました。役人が数人あって、庭にならんでいました。多くの人を召し集め、罪の軽重をはかっています。そのうえで多くの人を捕らえ、獄に送ります。泣き叫ぶ人の声は、雷の音のようでした。
私はこれを見ると身の毛がよだち魂が迷い、右も左もわからなくなりました。目の前では一人が小僧が手に錫杖を取り一巻の巻物をもって、東西に走りまわっています。なにかを交渉しているようでした。これに、容貌のとても美しい童子がつきしたがっていました。
私は歩み進み、この童子に問いました。
『この小僧は、誰ですか』
童子は答えました。
『知らないのですか。地蔵菩薩です』
私はこれを聞いて驚き恐れ、礼拝恭敬しました。
そのとき、小僧が私を見て哀れんで言いました。
『おまえは今すぐここを出るがいい。決して帰ってきてはならない』
さらに、私を役人の前につれていってこう言いました。
『この僧は如法の行者(教えのとおり修行する者)です。彼は白山や立山など、霊性をそなえた山に詣でて、みずから粉骨砕身して、数度も勤めを行っています。このほかにも、幾多の山をまわり、海を渡って仏道を修行しています。今、業縁によって夭折し、召されましたが、すみやかに放免すべきです。こまかなことは私の行業の日記に書き記しておきます(手にしていた巻物が日記)』
役人たちはこれを聞いて答えました。
『この僧は熱心に勤めをおこなっていました。おおせのとおり、すぐに放免しましょう』
私はこれを聞いて、涙を流してよろこびました。
小僧は私を官舎の外に導き、言いました。
『早く故郷にもどり、善業を修しなさい。ふたたびここに来ることがあってはなりません』
私はそう聞くと同時に、生き返りました」
この話を聞いた通行人は、悲しみ、貴びました。本国に戻ると、この話をしました。聞く人はみな、涙を流して貴びました。阿清は「これはまさに地蔵菩薩の助けである」と考え、とくに地蔵菩薩に仕えたと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一




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