巻17第24話 聊敬地蔵菩薩得活人語 第廿四
今は昔、源の満仲の朝臣という人がありました。勇猛で武芸の道に長けていました。公私にわたって、その道で並ぶ者はありませんでした。
その人のもとに、一人の郎等(家来)がありました。荒っぽく殺生をもって業(狩猟)としていました。いささかでも善根をつくることはありませんでした。
ある日、広野に出て鹿を狩ろうとしました。一頭の鹿が現れたので、これを射ようとしましたが、鹿は走って逃げました。郎等は、鹿を追い、馬を馳せて追いかける道すがら、寺を見かけました。寺の前を馳せ通ろうとしたとき、寺の内に地蔵菩薩が立っているのが見えました。敬う心を起こし、左手で笠を脱いで、馳せ過ぎました。
その後、幾程も経ないうちに、郎等は病を得ました。病に悩み煩って、ついに死にました。ただちに冥途に行き、閻魔王の御前に出ることになりました。その庭を見まわすと、たくさんの罪人がありました。そこで罪の軽重が定められ、罰を受けるのです。郎等はこれを見て、心が暗くなり迷いました。悲しく思いました。
男は思いました。
「私は一生の間、罪業をつくり、善根を修することをしなかった。罪を逃れることはできない。悲しいことだ」
歎いていると、小僧があらわれました。とても美しい姿をしていました。小僧は語りました。
「私はおまえを助けようと思う。すみやかに本国(現世)に戻って、年来つくった罪を懺悔せよ」
男はこれを聞いて喜び、問いました。
「あなたはなぜ助けてくれるのですか」
「私がわからないのか。私は、おまえが鹿を追い馬を馳せ、寺の前を通ったとき、寺の内に見た地蔵菩薩である。年来つくった罪はとても重いが、須臾(しゅゆ、わずかな)の間、おまえは私を敬う心があって、笠を脱いだ。だから私はおまえを助けるのだ」
男が答えようと思ったとき、すでに生き返っていました。
男はこれを妻子に語り、泣き悲しみました。男はたちまちに道心を発し、殺生を断って、地蔵菩薩を日夜に念じ、怠ることはありませんでした。
このように、地蔵菩薩は敬う心を発せば、人を見捨てることはありません。まして、道心を起こし、年来念じ、また像をつくった人を、救い助け給うことを疑うべきではありません。そうすれば、地蔵菩薩の誓願が他に勝れ、頼もしく思えることでしょう。
地蔵菩薩に仕えるべきであると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
『宇治拾遺物語』にも同じ話がある。
「郎等」とは家にいる若い者のうち、子でないものを言う。



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