巻17第27話 堕越中立山地獄女蒙地蔵助語 第廿七
今は昔、仏の道を修行する僧がありました。名を延好といいます。
越中の国(富山県)立山(飛騨山脈/北アルプス)に参って籠もっているとき、丑の時(午前二時)ごろ、人の影のような者が出てきました。延好は恐怖しました。この影のような者が、延好に告げました。
「私は京の七条のあたり(商工市があった)で暮らしていた女人です。七条から□、西の洞院から□、西北のあたりに、付近で第一といわれる家があります。私の父母兄弟は今でもそこに住んでいます。しかし私は果報が尽き、若くして死に、この山の地獄に堕ちました。私は生きていたころ、祇陀林寺の地蔵講に一、二度だけ参ったことがありましたが、それ以外には一塵も善根を積むことがありませんでした。にもかかわらず、地蔵菩薩がこの地獄にいらっしゃって、一日に三回だけ、かわりに私の苦を受けてくださいます。願わくは上人よ、私の家に行って、父母兄弟にこのことを告げて、私のために善根を修して、私の苦を除くよう伝えていただけませんか。そうしていただけるならば、私は決してその恩を忘れません」
影のような者はそう言うと消えました。
延好はこれを聞いておおいに恐れましたが、哀れみの心を発し、立山を出て、七条のあたりを訪れました。女の言ったところを尋ねると、言ったとおりに父母兄弟がおりました。
延好がこのことを告げると、父母兄弟は涙を流して泣き悲しみ、喜びました。その後、仏師に話し、三尺(約0.9メートル)の地蔵菩薩の像一体を造り奉り、法華経三部を書写し、亭子の院(ていじのいん)の堂で法会をひらき供養しました。講師は大原の浄源供奉(じょうげんぐぶ)という人でした。法を聞いて涙を流さない者はありませんでした。
地蔵菩薩の利益は他に勝れているものです。地蔵講に一、二度参っただけの女の苦を代わって受けてくださいます。まして心を至して念じ、その形像を造り、描き奉る人を助け給うことを思うべきです。世の人みな、地蔵菩薩に帰依して奉るべきだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
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