巻17第31話 説経僧祥蓮依地蔵助免苦語 第卅一
今は昔、大和国吉野の郡(奈良県吉野郡)に一人の僧が住んでいました。名を祥蓮といいました。説経を仕事として世を渡っていました。法を説いて人を教化していましたが、自分の勤めは熱心ではありませんでした。
やがて、祥蓮は、齢をかさね老に臨み、重い病をわずらって、何日後かに死にました。その後、三年たって、妻の尼が夢を見ました。日の光がささない遥なる山を歩いていました。やがて日が暮れて夜になり、大きな岩の下に入って、ひとり夜明けを待つことになりました。すると、傍で人が泣き悲しむ声がします。尼はそれが亡くなった夫の祥蓮の声だとわかりました。
「あなたは祥蓮様ではありませんか」
「いかにも、私は祥蓮である。私は恥ずかしげもなく戒を破っていた。にもかかわらず、多くの人の信施を受けていた。償う気持ちもなかった。その罪によって、この孤独地獄に堕ちた。生きていたとき、何度か地蔵菩薩に帰依していた。それゆえ、毎日三度に地蔵菩薩がやってきて、私のかわりに苦を受けてくれる。このほかに助けが得られることはない」
そう言うと、和歌を詠みました。
人もなきみやまがくれにただひとりあはれわがみのいくよへぬらむ
(人の訪れない深山にたったひとり、私はいつまでこの苦を負うのだろうか)
そこで目が覚めました。
尼はすぐに仏師に声をかけ、三尺(約1メートル)の地蔵菩薩の像一体をつくり、法華経の一部を書写して、川上(吉野川上流)の日蔵の別所(本寺とは離れた別院)に供養をたのみました。
その夜、尼の夢に、祥蓮があらわれました。姿麗しく高貴な、あざやかな服をつけていました。
「おまえの善根の力によって、私は罪を遁れた。今、法華経と地蔵菩薩の助けをいただき、浄土に行く」
目覚めると尼は喜び貴び、いよいよ地蔵菩薩への帰依を深めました。
この話を聞いた人は、みな尼を讃め貴んだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
説経とは難解な教えをわかりやすい形で大衆に伝えるもの、絵や人形などを使うことも多かった。後世に至ると宗教色が薄いものも多くなった。森鴎外が小説にした『山椒大夫』はことに有名。
主人公は説経をなりわいとしていたと語られているが、この話も歌をはさみ、説経用に構成されたものと考えられている。本文中で語られる「戒を破った」とは主に妻帯したことのようだ。
元の話は『地蔵菩薩霊験記』から得ているが、こちらでは祥蓮は天上界に生まれ、浄土に行く可能性を得たとだけ記されている。尼は夢の続きを期待したが、ついに見ることはなかった。
(岩波書店「新日本古典文学大系」の訳注による)
コメント