巻17第38話 律師清範知文殊化身語 第卅八
今は昔、律師清範と云ふ学生(学僧)がありました。山階寺(興福寺)の僧で清水寺の別当でした。深い智りを持ち、仏のような憐れみの心を持っていました。説経のすばらしさは並ぶ者がありませんでした。さまざまなところに赴き、法を説いて、多くの人に道心を発させました。
そのころ、入道寂照という人がありました。在俗のときには大江定基といいました。才覚があり身分もすばらしく、公務につとめていましたが、道心を発して出家しました。この入道寂照は、かの清範律師と出家前より意を通じており、互いに隔てる心もなく親密にすごしていました。あるとき、清範律師は入道寂照に念珠を与えました。
清範律師が亡くなって四、五年が経ち、入道寂照は震旦(中国)に渡りました。清範律師からもらった念珠を持って皇帝に拝謁すると、四、五歳ほどの皇子が走り出てきました。寂照を見て日本語で言いました。
「その念珠をなくさずに持っていてくれたのですね」
寂照はこれを聞き奇異を感じて問いました。
「何をおっしゃるのですか」
「あなたが持っている念珠は、私が奉ったものです」
寂照は思いました。
「私の持っている念珠は、清範律師がくれたものだ。この御子は、律師の生れ変わりなのだろう」
「なぜいらっしゃったのですか」と問うと、御子が答えました。
「この国にて利益すべき者があります。そのために来たのです」
そう答えて、走り去ってしまいました。
寂照は思いました。
「人々が律師を『文殊の化身だ』ということがあった。『説経がすばらしく、人に道心を発させることを言っているのだろう』と考えていたが、本当に文殊の化身だったのだ」
あわれに思い、涙を流して御子の行った方に礼をしました。
まことに貴くありがたい話です。これは、かの律師とともに震旦にわたった人が、帰ってきて話したことだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
名僧として名高い清範と寂照の友情。清範が夭折したこと、寂照が大陸にわたって帰ってこなかったことが背景にある。
【協力】ゆかり
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