巻19第20話 大安寺別当娘許蔵人通語 第二十
今は昔、大安寺の別当の娘で美麗で姿のうるわしい娘がありました。彼女のもとに、蔵人の□という者が、忍んで毎晩通っておりました。たがいに愛しく、去り難く相思っておりましたから、時には昼もとどまって、帰らないこともありました。
ある日、昼までとどまっていたとき、昼寝している男の夢に、この家の上中下の人々(身分の高い人から低い人まで)があらわれました。みな、ののしり合い、泣き合っています。
「どうしてこんなに泣くのだろう」
あやしんで見てみると、舅の僧や姑の尼君はもちろん、あるかぎりの人が大きな器を捧げて、泣きまどっています。
「どうして器を捧げて泣いているのだろう」
よく見ると、器には銅の湯が入っていました。鬼が打ち責めて飲ませても、飲めそうにない銅の湯をみな泣く泣く飲んでいました。中には、ようやく飲み終えたのに、さらに乞うて飲もうとする者もありました。身分の低い者でさえ、これを飲まぬものはありません。
自分の横に寝ている娘も、女房が来て呼ぶと、起きあがって加わりました。おぼつかなく感じながら見ていると、この娘にも女房が大きな銀の器に、銅の湯を入れてわたしました。細く小さな声をあげて、泣く泣く飲むと、目・耳・鼻から焔があがり、煙を出しました。
奇異に思ってさらに見ていると、
「客人にもあげてください」と言いました。銅の湯を器に入れて、台にのせ、女房が運んで来ました。
「自分もこれを飲まねばならないのか」
おそろしく思って、惑い騒いだところで、夢から覚めました。
目覚めると、女房が食物を台にのせて持ってきます。舅のいる方から、物を食べる音がしました。そのときに思いました。
「寺の別当なら、寺の物を心に任せて使うことができる。食べているのも寺の物だろう。夢で見たのはそれにちがいない」
興ざめして、娘への気持ちもたちまちに失せました。
「決してこれを食うまい」
気分が悪いと言って、食べずに出ました。その後はさらに心疎く思えて、立ち寄ることはなくなりました。
この蔵人には慚愧の心がうまれました。出家まではしませんでしたが、深い道心がめばえ、仏物などを欺用することはなくなったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
宇治拾遺物語にほぼ同じ話がある。
大安寺は現存する寺院のひとつで、南都(奈良)七大寺に数えられた。
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