巻19第25話 滝口藤原忠兼敬実父得任語 第廿五
今は昔、□院の天皇の御代、夏ごろ、多くの殿上人が大極殿に涼みに行くことがありました。多くの滝口所の者(警護の武士)がお供につきました。
帰ろうとして、八省院の北の廊を歩んでいると、にわかに空がかき曇り、夕立が降ってきました。多くの人は「今に晴れるだろう」と立って待っていました。中には傘を持っている人もありましたし、持っていない人もありました。
君達(きんだち、身分の高い人)は傘を持っていない人が多かったので、傘をとどけてくれるのを待っていました。
そこに、官掌の□得任(ありとう)という人がやってきました。彼の家は西の京(貧しい地域)にありましたが、陣(警備詰所)に出たところで、夕立にあいました。束帯したまま、衣服のそでを頭にかぶって西の京に走って行くとき、たくさんの殿上人が立っていて、多くの滝口所の衆がいるところを通りました。
その中にいる滝口の(藤原)忠兼は、じつはこの得任の子でした。烏藤太(うとうた)という者がもらい受け、育てていたのです。烏藤太も「私の実の子である」と言っていましたし、忠兼も名乗り出て得任の子だとは言いませんでした。世間の人が明かすこともなく、ただひそひそ話で話されるだけでした。忠兼は滝口の仲間とともに、八省院の廊の北面におりましたが、得任が夕立にあい、沓(くつ)と足袋を手にもって、そでをかぶり、ずぶ濡れで走っていくのを見て、忠兼は袴のすそをたくしあげ、傘をもって走り寄り、得任にかざしました。殿上人も滝口所の衆も、これを見て笑う者はありませんでした。泣く者もありました。
「どんなに偉い人であっても、あわてて大雨の中に飛び出していって、『親ではない』という人に、傘を差し出すなどできはしない。親は別にあるというのに、多くの人の目前を走り抜けるなんて、誰ができるだろう。たいがいの人は、身を隠してしまうにちがいない。なんと感心でありがたいことだろう」
親のある人もそうでない人も涙を流しました。
得任は「隠しておくべきことだ」と思っていましたから、忠兼が滝口の中にいるのを見て、みすぼらしい姿を見られるのを恥に思い、知らぬ顔で通り過ぎようとしました。ところが、忠兼は傘を持って駆けてきたのです。
「何をなさいますか」と言って、顔を見ると、我が子忠兼でした。得任はこれを見て、涙を落としながら言いました。
「ああ、もったいない。かたじけない」
忠兼は言いました。
「何がもったいないものですか」
父を西の京の家に送り、内裏に戻りました。
殿上人は内裏の関白殿の御宿所で、このことを話しました。関白殿はこれを聞き感銘を受け、帝に申し上げました。それから後、忠兼は天皇をはじめ、すべての人に讃えられるようになりました。
ある智恵深いやんごとなき僧が忠兼に言いました。
「あなたの孝養の心はたいへんに貴いものです。塔や寺を建てることにも、仏経を写すことにも勝ります。これは諸の仏菩薩が讃め給い、諸天も守り給うことです。たとえ無量の善根を積む人があっても、不孝であるならばその益を得られません」
忠兼はこれを信じ、いよいよ孝養したと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一


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