巻19第28話 僧蓮円修不軽行救死母苦語 第廿八
今は昔、大和国宇陀郡(奈良県宇陀市)に安日寺という寺がありました。蓮円という僧がおりました。蓮円の母は邪見(よこしまな心)が深く、因果の理を理解しませんでした。
やがて年月が経ち、母は老年となり病に伏せ、死ぬ間際に悪い相を現し、あきらかに悪い道(三悪道。地獄・餓鬼・畜生)に堕ちたとわかる相を見せて死にました。蓮円はこれを見て嘆き悲しみ、「どうすれば母の来世を知ることができるだろうか」と思いました。そして「日本中の行ったことのない場所すべてを巡ろう。不軽行(解説参照)を修して、ひたすら母の来世を探し求めよう」と決意しました。
蓮円は国々をくまなく巡り、心に誓ったとおり不軽行を修めました。鎮西(九州)の果てから陸奥(東北)の果てまで、訪ねなかった場所はありません。何年もかけて帰ってきました。その後、六波羅密寺に行き、法華経の八講(講義)を行いました。これはひとえに母の来世を探るためでした。その後、元いた安日寺に戻りました。
ある日、蓮円は夢の中で遠い山の中に至り、鉄の城を見ました。
「ここはどこだろう」と思っていると、一人の鬼が現れました。その姿は言葉では表せないほど恐ろしいものでした。蓮円は鬼にたずねました。
「ここはどこですか。あなたは誰ですか」
鬼は答えました。
「ここは地獄だ。私は獄卒である」
「この地獄の中に私の母はいますか」
獄卒は「いる」と答えました。
蓮円は「見せてくれますか」と言いました。
獄卒は「見せよう。しばらく待て」と答えて、城の扉を開きました。
扉が開くと同時に、猛烈な炎が遠くまで噴き出しました。恐ろしさは言葉では表せません。獄卒は槍を取り、釜の中に差し入れて、人の頭を貫いて持ってきました。蓮円の母の頭でした。体はありませんでした。
蓮円はこの頭を袖に受け、泣きながら見ていると、母もまた泣きながら言いました。「私は罪が重く、この地獄に堕ち、はかり知れない苦しみを受けている。だが、おまえが私のために長いこと不軽行を修め、法華経を講じてくれたおかげで、今、私は地獄の苦から逃れ、忉利天に生まれる」
夢から覚めると、蓮円は汗と涙でびしょびしょになっていました。心を揺り動かされました。
蓮円はその後、心安らかに喜びを感じつつ、ますます修行を怠りませんでした。のちには高野山に入って修行し、尊い僧となったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
蓮円がおこなった不軽行とは、法華経の常不軽菩薩品第二十に登場する常不軽菩薩の修行のことである。
サンスクリット(古代インド語)から法華経を翻訳した植木雅俊は常不軽菩薩を「常に軽んじない(のに、常に軽んじていると思われ、その結果、常に軽んじられることになるが、最終的には常に軽んじられないものとなる)菩薩」と訳した。原語のSadāparibhūtaは4通りの意味がふくまれているため、これがもっとも平易な訳になるそうだ。そのうえで、鳩摩羅什による「常不軽菩薩」は天才的な訳だと語っている。

宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の「デクノボー」とは常不軽菩薩のことといわれている。




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