巻19第42話 滝蔵礼堂倒数人死存命人語 第四十二
今は昔、長谷寺の奥に、滝蔵という神がおられました。
その社の前には、軒を並べるようにして三間(約5.5メートル)ほどの檜皮葺(ひはだふき)の堂がありました。社の側は山なので高い場所に建てられていましたが、前の方は深い谷になっていたため、長い柱を継ぎ足して建ててありました。
その谷は非常に深く、見下ろすと目がくらむほどでした。
ある年の正月、多くの人々が集まり、七、八十人ほどの人が堂に前で経を詠んだり礼拝したりめいめいに行をおこなっておりました。
やがて夜半ごろになりました。人が大勢いたため、堂が重みに耐えきれなくなり、谷側の柱が谷の方へ傾き、柱が折れ、礎から外れてしまいました。それにつられて他の柱もすべて礎から離れ、堂は谷の方へ倒れ、崩れ落ちました。
そこにいた人々は、しばらく「地震か」などと思っていましたが、堂がとつぜん谷へ崩れ落ちたので、ある者は堂から投げ出されて谷へ落ち、ある者は柱や桁や梁に打たれて押し潰されました。
また、子どもを抱いていた女は、母親の頭と子どもの頭が床板の隙間に挟まれて切断されてしまいました。胴体が谷へ落ちた者もあります。身体がばらばらになった者もありました。
しかし、その中で女一人、男三人、子ども二人は、谷底へ落ちたにもかかわらず、かすり傷ひとつ負いませんでした。
前世からの強い宿業ゆえでしょう。神の助け、そして観音(長谷寺の本尊)の加護があったにちがいありません。
まことに不思議な出来事であったと、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
この話の舞台となっている瀧蔵神社は、長谷寺の奥の院として現存する。
境内のシダレザクラは樹齢400年といわれ、明治政府の神仏分離政策の結果、参拝する人に経を詠む者が如実に減ったことも見てきているだろう。
桜の名は権現桜、神仏習合ここにありな名前だ。


【協力】 いっちー









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