巻19第43話 貧女棄子取養女語 第四十三
今は昔、いつごろのことでしょうか、ある女御(天皇や身分の高い人の妾)の童(めしつかい)としてつかえていた女がありました。若いころは姿かたちが美麗で立ち居ふるまいも素晴らしく、多くの恋愛を経験しました。長じては乳母としてつかえました。
乳母として養った子は、貴い僧になりました。乳母は年老いて道心を生じ法華経を読むようになりました。また、あちこちに出かけて講義を聞くようになりました。
講義を聞いた帰り、大雨に見舞われることがありました。雨宿りをするために、ある家の門に立ち入って、雨がやむのを待っていました。門の内に、荒れた壺屋(物置小屋)が建っていました。そのかげで女が泣いていました。
「泣いているのはなぜですか」
「去年と今年、二年つづけて子ももうけました。しかし、私は貧しいので、乳母を雇うことはできません。田舎へ連れていってやろうという人もありますが、二人の赤子をつれていては、それも不可能です。どうしようもなくて、一人を捨てようと思いましたが、悲しくてしかたありません」
「では、私が一人を引き取りましょう」
「とてもうれしいことです」
こうして赤子を引き取ることになりましたが、子をあずかってから思いました。
「乳母がいない。どうしよう」
しなびた乳を終夜、吸わせましたが、どうしようもありません。
「法華経よ助けてください。この子は私が慈悲を発してもらい受けた子です。乳房を張らせてください」
すると、産が絶えて二十五年たつはずなのに、若いときと同じように、乳房がにわかに張り、乳がこぼれてきました。赤子を養うことができたのです。
「こんなありがたい希有なことがありました」
その人が語ったのを聞き継ぎ、人は貴び心動かされ、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
古い宗教は基本的に男尊女卑思想が支配的なものである。成立年代を考えれば当然のことだ。
たとえば、イエスの十二使徒に女性はひとりもいない。今のハリウッド映画なら絶対にあり得ない配役だが、古代においてはふつうのことだった。
仏教においても同様で、女性は一度、男性に転生し、そのうえで仏となる(さとりを開く)とされていた(変成男子)。
ところが、法華経は女性は女性のまま仏になれると説いたのである(提婆達多品第十二)。女人救済を語った世界的にもまれな経典だった。女性の信仰が厚かったのは当然だろう。









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