巻19第44話 達智門棄子狗密来令飲乳語 第四十四
今は昔、嵯峨野の辺を往来していた人でしょうか、朝に達智門(たつちもん)を抜けるとき、門の下に、生まれて十余日ほどのとてもかわいらしい男の子の赤ん坊が捨てられているのを見ました。赤子は身分の低い者ではありませんでした。筵(むしろ)の上に臥して泣いている様子を見て、かわいそうに思いましたが、急ぐことがあって、そのまま見捨てて通り過ぎるしかありませんでした。
翌朝、帰りがけに同じところを通ると、その子はまだ同じようにありました。とても不思議に思いました。
「昨晩は狗(野犬)に食われなかったのだな。だが、今晩は食われてしまうかもしれない」
しかし、翌朝見ると、昨晩より元気で、泣かず、筵の上に臥していました。
帰ってから考えてみますと、どうにも不思議です。
「まだ生きてるだろうか」
そう思って翌朝たずねてみると、なお同じように生きています。
「これは何かわけがありそうだ」と思って帰りました。
不審に思われたので、夜になってからひそかに達智門に行き、築垣(土塀)の崩れたところから隠れて見ていました。狗はたくさんやってきましたが、子の臥しているあたりには近寄りません。
「やはり何かわけがあるのだ」
夜が深くなりました。どこから来たのか、量りがたいほど大きな白い狗が現れました。他の狗たちは、その白い狗が来るのを見て逃げ去りました。白い狗は子の臥したところへ近づいていきます。
「狗は子を食おうとしているのだ」そう思いました。
狗は近寄って、子の隣に添い寝しました。よく見ると、狗は子に乳を吸わせていました。子は人の乳を飲むように、とてもよく飲んでいます。男はこれを見て思いました。
「この子は毎晩、狗の乳を飲んでいたのだ。だから生きていられたのだ」
ひそかにその場をはなれ、家に帰りました。
次の夜、「今晩も昨夜のようだろう」と思い、行ってみました。やはり昨夜のように、狗がやって来て乳を飲ませています。
次の夜も、なお不審に思ったので行ってみました。その夜は子がどこにいるかわからず、狗も現れませんでした。
「昨晩、人の気配を感じたので、別の場所に行ってしまったのかもしれない」
その後、子と狗がどうなったかわかりませんでした。
実に不思議なことです。巨大な白い狗はただの狗ではなかったのでしょう。ほかの狗が逃げ去ったのは、鬼神だったからかもしれません。そうだったとすれば、きっとその子をみごとに養ったでしょう。あるいは、仏菩薩の変化(へんげ)が、子を利益(りやく)するために来たのかもしれません。狗は本来、それほど慈悲があるものではありません。前生の契などがあったのでしょうか。さまざまなことが考えられますが、わかりません。
これは、子と狗を見た男の語ったのを聞き継ぎ、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一










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