巻2第13話 舎衛城叔離比丘尼語 第(十三)
今は昔、天竺の王舎城(マガダ国の都)に、一人の長者がありました。家は大いに富み、無量の財宝がありました。一人の女子が生まれました。世に並ぶものがない端正な子でした。
その女子は生まれたとき、細やかな白い衣に身をつつんで生まれました。父母はこれを見て叔離(しゆくり)と名づけました。
娘は成長すると、世を厭い、出家を願うようになりました。やがて、「仏の御許に詣でて出家したい」と言いました。仏は「汝、よく来た」と言いました。そのとき叔離の頭髪は自然と落ち、身をまとう白い衣は変じて、五衣(尼五衣。出家した女子が着用すべき五種の衣)になりました。仏は叔離のために法を説きました。これを聞き、彼女は羅漢果を得ました(聖者になった)。
阿難(アーナンダ、釈尊の身の回りの世話をした弟子)はこれを見て仏にたずねました。
「この比丘尼は、宿世にどんな福をたくわえて、富貴の家に白い衣に身を包んで生まれ、仏に出会うことができ、道を得ることができたのですか」
仏は答えました。
「九十一劫(一劫は宇宙が誕生し消滅する時間)の昔、毗婆尸仏(びばしぶつ、過去七仏)が世に出た。そのときに一人の比丘があり、常に国中の人を仏の御許に参らせ、法を聞かせ、布施をすすめた。そのとき、檀膩加(だんかんか)という女人があった。極めて貧窮しており、夫があったけれども、夫妻は一枚の衣を持っているだけだった。もし夫がこれを着て出かければ、妻は裸で夫の帰りを待った。妻がこれをつけて出かければ、夫は家にあった。そのとき、かの比丘がこの家に至り、妻に言った。
『仏の出世には出会い難く、経法は聞き難いものです。また、人の身は得難いものです。あなたは仏を見奉り、法を聞きました。布施をおこなうべきです』
妻は答えた。『夫は今、出かけています。帰ってきたら話し、布施をおこないます』
夫が帰ってきた。妻は夫に告げた。
『比丘がやってきて、布施の行をすすめました。私はあなたと共に布施したいと思っています』
夫は答えた。
『我が家は貧窮していて、その心があってもさし上げるものがない。どうして布施ができるだろう』
『私たちは先の世に布施を行じなかったからこそ、今の世に貧窮の身と生れたのです。今、これを行わなければ、後々の世もまた同じ状態でしょう。どうか許可してください。布施を行じたいと思います』
夫はこれを聞いて思った。
『妻はひそかにためた財物があるのだろう。布施を許そう』
夫は言った。
『おまえの心に任せる。施すべき物があるなら、すみやかに布施を行いなさい』
妻は言った。
『あなたがつけている衣を脱いでください。これを施したいと思います』
『おまえと私はただこの衣一枚しか持っていない。今、これを施してしまえば、着る物がなくなってしまうではないか』
『私とあなたは着る物がなくなるでしょう。しかし、これを施せば、後の世に必ず福を得ます。惜しむ心を抱いてはなりません』
夫は妻の言を聞き、その心を感じてとても喜び、これを許した。
妻は家に比丘を招き入れ、衣を脱いで与えた。比丘はたずねた。
『どうして目の前で施さず、招き入れて、ひそかに施しをするのですか』
妻は答えた。
『私たち夫妻が持っているのはこの衣だけです。着替える衣はありません。女の肉体は汚れていて、醜いものです(不婬戒を守れない)。だから目の前では脱がなかったのです』比丘はこれを受け、夫妻のために呪願した。
比丘は仏の御許にこの衣を捧げ、人々に告げた。
『清浄なる布施、この衣にまさるものはない』
そのとき、国王が后とともに法を聞くために、仏の御許に詣で、その座にあった。比丘の言を聞くと、后はただちに瓔珞(ようらく、ネックレス)と宝の衣を脱ぎ、彼女に送りとどけた。王もまた衣服を脱ぎ、これを送った。
夫は法を聞くために仏の御許に詣でた。仏は法を説いた。
このときの妻が今の叔離比丘尼である。彼女はこの功徳によって、それから九十一劫の間、悪道に堕ちず、常に天上人中に生まれ、富貴の報を得た。また、私に出会って、道を得ることができたのだ」
そう語ったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
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