巻2第32話 舎衛国大臣師質語 第(卅二)
今は昔、舎利弗(サーリプッタ)尊者は、常に智恵の眼をもって衆生(人々)を見て、得度すべき者(出家して修行すべき者)を見きわめ、得度させていました。
そのころ、舎衛国(コーサラ国)に波斯匿王(プラセーナジット王)の大臣がありました。名を師質(ししつ)と言いました。家は大いに富み、無量の財宝を備えていました。舎利弗はこの人を得度すべしと考え、彼の家に行き、乞食(托鉢)しました。大臣は礼拝恭敬して家に請じ入れ、食をもって供養しました。
尊者は供養を受け終わると、大臣のために法を説きました。
「富貴栄禄は、苦しみのもとである。家にいて、妻子を愛する事は、牢獄にあるようなものだ。すべてはことごとく無常である」
大臣はこれを聞いて歓喜して、道心を起こしました。家業ならびに妻子・眷属(親戚)を弟のものとして、出家して山に入りました。
大臣の妻は、大臣を恋い悲しみ、弟の言葉に耳を傾けませんでした。その様子を見て弟は言いました。
「おまえは今は、私の妻なのだ。他の心があってはならない。にもかかわらず、なぜ常に愁い顔をしているのだ」
妻は答えました。
「私は前の夫の大臣を恋しているために、歎き愁うのです」
弟はこのことを賊に語って雇いました。賊は兄を殺すために山に入りました。賊は山で沙門(元大臣の僧)に出会って言いました。
「私はあなたの弟に雇われ、あなたを殺すために来た」
沙門はこれを聞いて恐れ怖じました。
「私はあらたに道に入りましたが、未だ仏に会ってはいません。法を悟ってはいません。私を殺さないでください。仏を見奉り、法を聞いた後で殺してください。遠いことではありません」
賊は言いました。
「私はあなたを免すことはできない」
沙門は臂をかかげ、賊に与えました。
「私の臂をひとつあげます。命をとるのは待ってください。仏を見奉ります」
賊は命をとらず、臂を切り落として持ち去りました。沙門は仏の御許に詣で、仏を礼拝しました。仏は沙門の」ために法を説きました。沙門は法を聞き、羅漢(聖者)となって、すぐに涅槃に入りました(あの世に行った)。
賊は臂を持ちかえり、弟にとどけました。弟は兄の臂を得て、妻のもとに持っていき言いました。
「おまえが恋い悲しむ前の夫の臂だ」
妻はこれを見て、なにも言わずむせび泣き、かぎりなく歎き悲しみました。妻は波斯匿王の宮に詣で、これを王に申しあげました。王はつぶさに聞いておおいに怒り、弟を捕えて殺してしまいました。
ある比丘(僧)が仏にたずねました。
「この沙門は、前世にどんな悪業をつくったために臂を失い、その後仏に出会い、道を得ることができたのですか」
仏は答えました。
「過去世に波羅奈国(ヴァラナシ)の達王が、狩りのために山に入ったとき、道を失って迷った。草木のもとに宿り、道を探していた。山中に一人の辟支仏があり、王は辟支仏に道を問うた。そのとき辟支仏は臂に悪い病があって、手をあげることができず、臂で道を示した。王は激怒し、刀を抜いて、辟支仏を斬った。辟支仏は言った。
『王よ、もしこの罪を懺悔しなかったなら、おまえは重罪を受けるだろう』
辟支仏は飛んで虚空に昇り、神変をあらわした。王はこれを見て言った。
『私は証果の人(さとった人)を斬ってしまった!』
地に倒れ声をあげて叫んで悔い悲しみ言った。
『願わくは辟支仏よ、返り下りて、私の懺悔を受けてください』
辟支仏はすぐに返り下り、王の懺悔を受けた。王は頭と顔を地につけて、辟支仏を礼拝して申し上げた。
『願わくは私をあわれんで、私の懺悔を受け、私が受ける苦の報を除いてください』
辟支仏はこれを聞き終えると、涅槃に入った。王、その地に塔を建て、供養した。常にその塔に参り、罪を懺悔して、ついにさとりを得た。沙門は、昔の達王である。前世で辟支仏の臂を斬ったために、今、臂を失わなければならない。懺悔をしたために、地獄には堕ちず、今、道を得ることができたのだ」
そう説いたと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【協力】株式会社TENTO
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