巻二十第二話 中国の天狗が痛めつけられる話

巻二十(全)

巻20第2話 震旦天狗智羅永寿渡此朝語 第二

今は昔、震旦(中国)に智羅永寿(ちらようじゅ)というとても法力の強い天狗がおり、日本に渡ってきました。

日本の天狗に語ります。
「わが国には、身分の高い得行の僧が多くあるが、われわれの思うとおりにならない者はない。聞けば、この国には修行を積んで験を得た僧どもが多いと聞く。彼らに会って、一度力くらべをしようと思うが、どうだ」
日本の天狗が申します。
「たいへん喜ばしいことです。この国の徳行の僧たちも、私たちの手にかからぬ者はありません。辱めようと思えば、いつでもそれが可能です。最近、その対象としようと思っていた者があります。お教えしましょう。私についてきてください」
震旦の天狗は日本の天狗の後について飛び立ちました。

天狗(東京都高尾山薬王院)

震旦の天狗と日本の天狗は比叡山の大嶽の石卒都婆(いしそとば)の許まで飛び、並んで道ばたに腰を下ろしました。
日本の天狗が震旦の天狗に言いました。
「私は顔を知られていますから、谷の方のやぶに身を隠していましょう。あなたは老法師に化けて、ここを通る人を必ず辱めてください」
そう教えると、自分はやぶの中に隠れて見ていました。
震旦の天狗は、もっともらしい老法師になって、石卒都婆のわきにかがんでいます。目つきがとても恐ろしげで、
「これは必ずやってくれるだろう」
と日本の天狗は心強く思い、喜びました。

しばらくすると、山の上の方から、余慶律師(よけいりっし)と言う人が輿に乗って下ってきます。この人は、貴い僧侶として有名な人でした。この人が辱めを受けると思うと、嬉しくて仕方がありません。やがて一行は卒都婆のわきを通り過ぎて行きます。
「やるなら今だ」と思って、老法師(震旦の天狗)を探したのですが、見当たりません。律師は何事もなく、多くの弟子とともに通り過ぎていきました。

「なぜいなくなったのだ」と思って、震旦の天狗を探してみると、南の谷に、尻をさかさまにして隠れています。日本の天狗は近寄って問いました。
「どうして隠れているんですか」
震旦の天狗は問います。
「今の僧は誰だ!」
「近年やんごとなき験者として有名な、余慶律師という人です。比叡山の千寿院から、内裏の御修法のために下っていきました。貴い僧ですから、『恥をかくさまを見られるぞ』と思って楽しみにしていたのですが、果たせませんでした。とてもくやしく思っています」
「僧には貴気が宿っていた。『この人だ』と思って、出ていこうと思っていると、僧の形は見えなくなって、輿が炎をあげて燃えているのが見えた。『近寄っては火に焼かれてしまう。これは見過ごしたほうがいい』と思って、隠れていたのだ」
日本の天狗は嘲笑しました。
「はるか震旦から渡ってきて、この程度の者を引き出さずに通すとは情けない。次に来る人は、必ず引きとめて恥をかかせてくださいよ」
震旦の天狗は答えました。
「まさに言うとおりだ。次こそ見ていろよ」
はじめのように石卒都婆のわきに立ちました。

比叡山延暦寺

日本の天狗ははじめと同じように谷に下り、やぶに隠れて見ていました。
飯室の深禅権僧正が下ってきました。輿の一町ほど前に、髪が乱れ伸びた童が、杖をもって道を払っています。
「さて老法師(震旦の天狗)はどうするのかな」
と見ていると、この童は老法師を杖で追い立て、打ち払いました。老法師は頭を抱えて逃げていきます。打ち払われて、輿のそばに寄ることもできません。

日本の天狗は震旦の天狗の隠ている所に行き、たずねました。
「なぜ逃げるのですか」
震旦の天狗が答えました。
「まったく無理なことを言うよ。輿の前にいる童を見れば、とうてい寄ることなんかできやしない。『捕らえられて頭を打ち破られる前に』と思ったから、大急ぎで逃げたんだ。私は震旦から片時の間に飛んで渡れるほどに飛ぶのが速いが、この童は自分よりさらに速そうだった。これはかなわないと考えて、隠れることにしたんだ」
日本の天狗は言いました。
「次に来る人は必ず辱めてくださいよ。日本に渡ってきて、なんの益もなく帰ったら、震旦の面目にもかかわるでしょう」
そう言って震旦の天狗を恥をかかせ、自分はもとのところに隠れていました。

しばらくすると、がやがやと人の音がして、下より大勢の人が登ってきました。最初に現れたのは赤袈裟を着た僧で、道を掃き清めています。つづいて若い僧が、三衣筥(さんえばこ、衣の入った箱)を持ってきました。次に輿に乗って登ってくる人は、比叡山の座主(ざす、首席の僧。前のふたりも座主だった人)、横川の慈恵大僧正です。
「この人にかかっていくのかな」
そう思って見ていると、髪を結った小童部(こわらべ)が二、三十人ほど、座主の左右に立って歩いてきます。震旦の天狗が化けた例の老法師は、はじめと同じように隠れているようです。

小童部のひとりが言いました。
「こういう場所には、あやしい者がいて、こっちをうかがっていることがあるんだ。きちんと散らばって、見て歩こう」
勇みたった童部は、楚(ずはえ、ムチ)を持って、道のわきを探っています。見つけられては大変だと、天狗はさらに谷を下り、やぶの奥深くに隠れました。

南の谷の方で、ある童部が叫びました。
「ここにあやしい奴がいる。捕えよう」
他の童部が言います。
「老法師だ。こいつはただ者じゃない」
「捕らえろ。絶対に逃がすな」
童部たちが走りかかっていきます。
「大変だ。震旦の天狗が捕らえられたようだ」
そうは思ったけれども、出て行くわけにはいきません。日本の天狗はさらに深くやぶの中に入り、ぶるぶる震えながらひれ伏していました。

やぶの中から、おそるおそる見ると、童部が十人ばかり集まって。老法師を石卒都婆の北の方にひっぱりだし、何度も踏みつけています。老法師は声をあげて叫びますが、助ける者はありません。
童部が問います。
「どこの老法師だ。名乗れ」
「震旦より渡ってきた天狗です。『通っていく人を見てやろう』と思い、ここにおりました。はじめにやってきた余慶律師という人は、火界の呪を唱えて通ったので、輿の上が大いに燃えさかる炎のように見えました。自分が焼けてしまいますから、その場から逃げ去ったのです。
飯室の僧正は、不動明王の真言を唱えていました。制多迦童子(せいたかどうじ、不動明王の脇侍)が鉄の杖を持って先を歩き、守っていました。童子には出会いたくありませんから、深く隠れていました。
このたび通った座主の方は、前のふたりのように、真言を唱えて身を守るということはしませんでした。ただ、摩訶止観(中国天台宗でまとめられた仏教の論書)を心に念じて昇ってくるだけで、怖ろしくはなかったのです。だから深くも隠れずに、ここにいたのですが、このように捕らえられ、痛い目にあっています」
童部はこれを聞くと言いました。
「重い罪がある者ではない。許して逃がしてやれ」
童部は皆、老法師の腰を踏みつけました。天狗はさんざんな目にあった後、解放されました。

座主の一行が通り過ぎると、日本の天狗が谷の底より這い出して、老法師が腰を踏み折られて倒れているところまで歩み寄って言いました。
「どうです、今度はうまくできましたか」
震旦の天狗が泣きながら答えました。
「かまわないでください。聞かないでください。あなたを頼りにして、遠くから渡って来たのです。それなのに、安全な方法も教えずに、生仏のような人たちに会わせるなんて。おかげで、このように老腰を踏み折られてしまった」
日本の天狗が申しました。
「おっしゃることはもっともです。しかし、『大国の天狗なら、小国の貴人など、辱めることができるだろう』と考えて、彼らが通るところへ案内したのです。このように腰を折ってしまったことは、まったく気の毒に思っています」
日本の天狗は、北山の鵜の原というところで湯治をさせ、震旦に帰してやることにしました。

日本一の大天狗面 縦8m、横6m、鼻の長さ4m(静岡県浜松市)

京の北山の木伐(きこり)が、鵜の原を通りました。湯屋に煙が立っているのを見て、
「自分も一風呂浴びていこう」
と考えました。
木を湯屋の外に置き、入って見ると、年老いた法師が二人、湯浴みをしています。一人は臥し、腰に湯を流していました。
「おまえは誰だ」と問われたので、
「山から木を切って、帰るところです」と答えました。

この湯屋はたいへんに臭かったので、木伐は頭が痛くなり、恐ろしく思って、湯も浴まずして帰りました。

その後、日本の天狗が人に乗り移って語ったことを、この木伐が伝え聞き、鵜の原の湯屋で二人の老法師の湯浴していたことを思いあわせて、語ったと伝えられています。

【原文】

巻20第2話 震旦天狗智羅永寿渡此朝語 第二
今昔物語集 巻20第2話 震旦天狗智羅永寿渡此朝語 第二 今昔、震旦に強き天狗有けり。智羅永寿と云ふ。此の国に渡にけり。 此の国の天狗に尋ね会て、語て云はく、「我が国には、止事無き徳行の僧共、数(あまた)有れども、我等が進退に懸からぬ者は無し。然れば、此の国に渡て、修験の僧共有りと聞くに、其等に会て、一度力競せむ...

【翻訳】
草野真一

【校正】
草野真一

【協力】
草野真一

【解説】
草野真一

仏教受容は単純に海の向こうから新しい宗教がやってきたというようなものではない。政治も、経済も、建築も、都市計画も、潅漑などの土木技術も、仏教と同時に大陸からもたらされたのだ。すなわち、仏教を受け入れるとは新しいテクノロジーを受け入れることを意味していた。
仏教受容に熱心だった聖徳太子は単に宗教としての仏教のみを尊んだわけではない。それと同時にもたらされたテクノロジーも取り入れようとしていたのである。

とはいえ、新しい文化を受け入れようとすれば、必ず伝統派・保守派の反発がある。下に記された乙巳の変(大化の改新)は、テロをともなう内紛によってもたらされた政治改革であるが、海外の進んだ文化をどう受容すべきかという問題が、この事件の遠因のひとつとなっていたことは疑いようがない。

巻二十二第一話 中臣鎌足が藤原の姓を賜わった話
巻22第1話 大職冠始賜藤原姓語第一今は昔、皇極(こうぎょく)天皇と申し上げた女帝の御世に、皇子の天智(てんじ)天皇は皇太子でいらっしゃいました。その当時、一人の大臣がいました。蘇我蝦夷(そがのえみし)といい、馬子(うまこ)の大臣(おとど...

天狗とは、仏教以前に信仰されていた神、アニミズムの信仰に基づく神である。日本古来の神と呼んでもいいだろうが、その信仰には仏教のような背後論理はない。素朴といえば聞こえはいいが、とても単純なのである。

一方、仏教には高度な論理体系がある。思想的大伽藍がある。

たとえば奈良には「三論宗」と呼ばれる、竜樹や提婆の哲学を専門に研究する宗派すらあるのだ。

巻四第二十四話 龍樹、透明人間になって犯しまくった話(芥川龍之介『青年と死』元話)
巻4第24話 龍樹俗時作隠形薬語 第廿四 今は昔、龍樹菩薩という聖人がありました。智恵は無量、慈悲は広大な方です。俗に在ったときは、外道(仏教以外の教)の典籍を学んでいました。そのころ、二人と示し合わせて穏形の(透明人間になる)薬をつくり...
巻四第二十五話 龍樹と提婆の問答
今昔物語集巻4第25話 龍樹提婆二菩薩伝法語 第廿五 今は昔、西天竺に龍樹菩薩という聖人がいらっしゃいました。智恵は無量、慈悲は広大でありました。また、そのころ中天竺に提婆菩薩という方がいらっしゃいました。この人もさとりが深く、法を広めた...

そのあたりはここでも述べている。

伊勢の神に日本との別れを見た(書評/コラム)

天狗は比叡山の高僧に、まったくひどい目にあわされている。ただし、ただ「ひどい目にあった」ではなく、高僧たちが何をやっていたのか、すべて了解している点に注目したい。

神様なのである。だから、僧たちが何をやっているのかわかるのだ。
同様に、頭痛をもよおすほどに臭いのも、常人ではないからだろう。

それにしても日本の天狗、小ずるいなー。

コメント

タイトルとURLをコピーしました