巻二十第二十六話 乞食僧を打って圧死した男の話

巻二十(全)

巻20第26話 白髪部猪麿打破乞食鉢感現報語 第廿六

今は昔、備中の国小田の郡(岡山県笠岡市)に、白髪部の猪麿という人がありました。よこしまな心をもち、三宝(仏法僧)を信ぜず、また、人にものを与えることをとてもいやがっていました。

ある日、猪麿の家に乞食の僧がやってきて、物を乞いました。猪麿は、物を施さず、乞食をののしり打って、乞食の持っている鉢を壊し、追い払いました。

その後、所用あって他の郷に行こうとすると、にわかに大雨が降り、風が吹いてきました。進むことができず、しばらく人の倉の軒下にいて、雨風のやむのを待ちました。そのとき、にわかに倉が倒れました。猪丸は下敷きになって死にました。

「妻子や親族になんの遺言ものこさず、思いがけず死ぬのは、ほかでもない、乞食に物を施さず、ののしり打って、鉢を壊したためだ」
見聞く人はみな、現報を感じずにはいられませんでした。

乞食を見たなら喜んで、多少をいとわず急いで物を施すべきです。ののしり打ったりは絶対にしてはなりません。乞食といっても三宝のひとつです。昔も今も仏菩薩の化身は乞食の中にこそいると語り伝えられています。

【原文】

巻20第26話 白髪部猪麿打破乞食鉢感現報語 第廿六
今昔物語集 巻20第26話 白髪部猪麿打破乞食鉢感現報語 第廿六 今昔、備中の国小田の郡に、白髪部の猪麿と云ふ者有けり。心邪見にして、三宝を信ぜず、又、人に物を与ふる心無かりけり。

【翻訳】 草野真一

【解説】 草野真一

岩波書店の「新日本古典文学大系」の訳注によれば、「にわかに(俄に)」という表現には、「人知を超えた」という意味が込められているという。また、乞食の鉢の破壊と倉の倒壊の対応も指摘されている。

巻二十第二十五話 乞食を打って報いを受けた人の話
巻20第25話 古京人打乞食感現報語 第廿五今は昔、奈良に都があった時代、一人の人がありました。愚かな心をもち、因果(仏の教え)をまったく信じませんでした。ある日、乞食の僧がやってきて、その人の居室に至りました。その人は乞食を見ておお...

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