巻20第32話 古京女為母依不孝感現報語 第卅二
今は昔、古京の時(都が奈良にあったころ)、一人の女がありました。孝養の心をもたず、母を養いませんでした。
母は寡婦で貧しく食がなく、飯を炊くことができなかったとき、思いました。
「娘の家に行って、飯を乞うて食べよう」
母が食を乞うと、娘は言いました。
「今は夫と私の飯だけがあります。あなたに食べさせるものはありません」
母は幼い子をつれていました。これを抱いて家に帰る道すがら、ひと包みの飯がありました。これを家に持ち帰り食べると、飢えをしのぐことができました。
「今夜は食べる物が無くて、飢えるだろう」
そう思っていたので、これを食べて安心して眠ることができました。
その夜の夜半すぎ、戸を叩く音に起こされました。
「あなたの娘が今、大声で叫んでいる。『私は胸に釘がある。私は死のうとしている。助けてください』そう告げている」
母はこれを聞いても、夜半すぎであるために、すぐに行くことができませんでした。娘は死にました。母と会うことなく死にました。
たいへん愚かなことです。母に孝養せずして死んだのですから、後世もまた悪道(地獄・餓鬼・畜生の世界)に堕ちることは疑いありません。飯がなかったら、自分の分をゆずって母に食べさせるべきなのに、自分と夫が食べて、母に食べさせなかったために、天の責をこうむって死んだのです。その日のうちに報いを受けるとは、哀しいことです。
世の人は父母に孝養すべきである。そう語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
すぐに娘のところに行けなかったのは、飢えているのに食を与えようとしなかった娘にたいする気持ちばかりが原因なのではない。道に灯火のない時代であるから、月夜でもなければ真の闇に包まれ、道がどこにあるかさえわからなかったからだ。夜間は出歩けなかったころの話なのである。
この話では娘のふるまいが戒められ、報いを受けているわけだが、老人がすくない時代の観念だという気がするのは自分が高齢化社会の人だからだろう。母親もそうとうに意地汚かったんじゃないか、だから娘は冷たくあしらったんじゃないかという疑いを抱いてしまう。
【協力】ゆかり
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