巻20第41話 高市中納言依正直感神語 第四十一
今は昔、持統天皇という女帝の御代に、中納言大神の高市麿(三輪高市麻呂)という人がありました。まっすぐな心をもち、智恵を備えていました。漢籍をまなび、すべての道に明らかでした。天皇はこの人に政を任せていました。高市麿は国を治め、民をあわれみました。
あるとき、天皇が諸司に勅し、狩するために伊勢の国(三重県)に行幸されようとしたことがありました。
「すみやかに準備をせよ」
そのときは三月でした。高市麿は奏しました。
「今は農業にとって大切なときです。彼の国の民は、行幸があることで煩うにちがいありません。今は行くべきではありません」
天皇は高市麿の言に随わず、「行幸する」と言いました。
しかし、高市麿はなお重ねて奏しました。
「どうか行幸をおやめください。今は農業の盛りです。田夫の愁が多くなります」
これによって、行幸は中止になりました。民はかぎりなく歓喜しました。
あるとき、旱魃することがありました。高市麿は自分の田の口を塞いで水を入れず、百姓の田に水を入れました。水を人に施したために、自分の田は干上がってしまいました。このように、我が身を棄てて、民を哀れむ心があったのです。天神はこれを見て感心し、龍神に命じて雨を降らせました。ただし、高市麿の田だけに雨を降らせ、余人の田には降らせませんでした。
ひとえにまことの心を尽くすならば、天はこれを知り、守ってくださいます。
人の心はまっすぐであるべきで、よこしまな心を抱いてはなりません。大和の国城上の郡三輪(奈良県桜井市三輪)は、高市麿の住居でありました。その家を寺として、三輪寺と称しました。子孫は代々その寺をつとめて今でもある、と語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
民のために行幸を思いとどまらせる。東日本大震災のとき、ときの天皇(現上皇)は被災地が落ち着くまで慰問せず、被災者と同じものを食べ、現地には決して泊まらなかったという話を思い出しました。
【協力】株式会社TENTO
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