巻二十第九話 奇怪な老僧と幻術の話

巻二十

巻20第9話 祭天狗法師擬男習此術語 第九

今は昔、京にあやしい術をおこなう法師がありました。履いている足駄や草履などを、とつぜん犬の子に変えて這わせたり、懐から狐を出したり、馬や牛の尻から入って、口から出るなどしていました。

いつもこのようにしているのを、隣に住む若い男がうらやましく思い、法師の家に行き、「術を習いたい」と熱心に頼みました。法師は言いました。
「この術は簡単に人に伝えてはならないものだ」
なかなか教えようとしないのを、男はさらに熱心に頼みました。
「おまえが真にこの術を習いたいならば、これを人に語らず、七日の間、きびしく精進潔斎しなければならない。浄く新しい桶に雑炊を入れ、これをみずから担ぎ、貴いところに詣でて、これを習うのだ。私はそこに連れていくだけで、教えることはできない」

男は法師の言にしたがい、人に語らず、精進を始めました。注連縄(しめなわ)を張り、人に会わずに籠居して、七日がたちました。きれいな桶を用意し、これに雑炊を入れました。

法師がたずねて来て、言いました。
「この術を習いたいならば、決して帯刀してはならない」
何度も忠告しました。男は言いました。
「刀を持たないのは、たやすいことです。私は『術を習いたい』と本気で思っているのですから、もっと難しいことでも、従わないことはありません。刀を持たないということは、簡単なことです」
口ではそう言いましたが、心の内では思っていました。
「もちろん刀を持たないことはたやすいが、法師がこうも忠告するのは、どうもあやしい。もし刀を持たないで、危険な目にあったりしたら、元も子もないじゃないか」
男はひそかに小さな刀をとぎました。

明日が精進の七日めになる夕、法師がやって来ました。
「このことを人に語らず、例の桶をかついで出立せよ。絶対に刀を持ってはならない」

日本刀は、平安時代後期、すなわち『今昔物語集』と同時代に出現した

翌朝、二人は出発しました。法師の言い分があやしく思えたので、男は刀を懐に隠し持ち、桶を肩にかついで、法師を前に立てて歩きました。どことも知れぬ山中をはるばる行くうちに、巳の時(午前十時)ごろになりました。
「ずいぶん遠くまで来た」
そう思っていると、立派な僧房が見えてきました。法師は男を門外に立たせ、自分は内に入りました。背の低い柴垣のあるあたりで咳払いをして、来意を告げたようです。障紙を開けて出てくる人がありました。

年老いた、まつげの長い、位の高そうな僧が出てきました。法師に言いました。
「久しく来なかったな。なぜだ」
法師は答えました。
「暇がなくて、来ることができませんでした。今日は弟子入りしたいという男を連れてきました」
老僧は言いました。
「また、つまらんことを言って誘ったのだろう。どこにいる。ここに呼べ」
法師が入れと言ったので、男は法師の後ろに立ちました。持ってきた桶は、法師がとって、縁の上に置きました。
柴垣の辺りに立っていると、老僧がたずねました。
「この男は刀を持ってはいないか」
男は持っていないと言いました。僧は気味が悪く、とても恐ろしげでした。

僧は若い小遣いを招き入れ、縁に立って言いました。
「その男が懐に刀を忍ばせていないか探れ」
若い小遣いは男に近寄り、懐中を探ろうとしました。
男は思いました。
「懐には刀を忍ばせている。これが見つかれば、よいことがあるとは思えない。殺されてしまうだろう。どうせ死ぬのなら、この僧に斬りかかって死のう」
若い小遣いが近づいてきたとき、男は懐の刀を抜き、老僧に飛びかかりました。次の瞬間、僧はふっと消えてしまいました。

同時に、あの立派な僧坊も消えました。不思議に思って見廻すと、どことも知れぬ堂の内にいました。男を導いてきた法師は、手を打ってくやしがり、
「おまえは、俺の顔をつぶした」
と言って泣きました。かける言葉もありません。見回すと、遠くまで来たと思っていたのに、一条西洞院の大峰寺におりました。男は自分を失う心地で家に帰りました。法師は泣く泣く帰り、二、三日後に死にました。

おそらくは天狗を祭っていたのでしょうが、詳しいことはわかりません。男は生き続けましたが、こんな術を習おうとは、罪深いことです。
三宝(仏・法・僧)に帰依する者は、このような術を学ぼうと考えてはなりません。

このような術をなす者を「人狗(ひといぬ)」と呼び、人ではない者であると語り伝えています。

【原文】

巻20第9話 祭天狗法師擬男習此術語 第九
今昔物語集 巻20第9話 祭天狗法師擬男習此術語 第九 今昔、京に外術と云ふ事を好て役とする法師有けり。履(はき)たる足駄尻切などを、急(き)と犬の子などに成して這せ、又、懐より狐を鳴せて出し、又、馬牛の立る尻より入て、口より出など為る事をぞしける。

【翻訳】
草野真一

【解説】
草野真一

『新日本古典文学大系 36 今昔物語集 4』(岩波書店)の解説によれば、ここに描かれた不思議な術とは能のルーツとなった猿楽の一種とされている。歌と舞踊には多分に呪術的なものが含まれていたのだろう。

猿楽と田楽『職人尽歌合(七十一番職人歌合)』模本(東京国立博物館所蔵)

現在の京都市上京区、一条西洞院と呼ばれるところに、大峰寺という寺がじっさいにあった。吉野の大峰山の流れを汲む寺院で、当時の新興宗教であった修験道の寺であった。修験道では天狗を祀ることも多い。(天狗が行者の姿に描かれることが多いのはそのためだ)

大峰山(山上ヶ岳)

人イヌって聞いたことあるなあ、何だっけとしばらく考えて思い出した。永井豪の『バイオレンスジャック』だ。

永井豪の人犬

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