巻七第一話 光を放つ『大般若経』 美しい夢を見た話

巻七

今昔物語集 巻7第1話 唐玄宗初供養大般若経語 第一

今は昔、震旦は唐の玄宗(正しくは高宗)皇帝の御代に、玄奘三蔵が『大般若経』の翻訳に取りかかりました。玉華寺という大伽藍にこもり、梵語から漢語に訳したものを寂照や慶賀らその寺の高僧に筆記してもらうのです。その大訳業がとうとう完成したという報せを耳にして皇帝はたいそうお喜びになり、法会を設けて僧侶たちを集め、供養をすることになさいました。龍朔三年の冬、十月三十日を期日と定めて嘉寿殿をおごそかに飾り、宝幢や幡蓋をはじめ仏具をとりどりに並べたてました。いずれも言語を絶するほどに美しいものばかりでした。

そして当日、皇帝は『大般若経』の万巻をうやうやしく迎え、玉華寺の粛成殿から嘉寿殿に行って盛大な法会をとり行い、読経の声も高らかに供養をなさいました。その儀式のおごそかさ、いかめしさは例えようもないほどでした。
そのときです。『大般若経』が光を放ってあちこちを照らしだし、空からは美しい花が降りそそいで、この世のものとは思えない香気がただよいました。皇帝も、大臣も、並み居る百官もみなこれを見て歓喜し、おのおのが「不思議なこともあるものだ」と胸のなかでつぶやきました。

このとき、玄奘三蔵は門弟たちに言葉をかけました。「経文に書かれているとおりのことが起きた。『大乗の教えを求める者が四方八方にいて、国王、大臣、それに四衆の出家者たちがこの教を書写し、経典を肌身離さず大切にし、読経をし、教えの流布に努めたならば、その者たちはみな天上界に生まれて、最後には悟りを開くことだろう』と説かれているのだ。このようなありがたい経文を知るに及んで、われわれはどうして口を閉じて黙ったままでいられようか」と、三蔵はおっしゃったのです。

その後、僧の寂照の夢に千仏が現れました。千仏は空中に漂いながら、異口同音に仏徳教理を讃歎する詩を唱えました。

 般若経は諸仏の母にして深妙なる経典 諸経のなかでももっとも優れたものである
 もしもその経を耳にすることがあれば かならずその者は最上の仏の悟りを得ることだろう
 その『般若経』を書写し、受持し、読誦をする者は その『般若経』に一花一香を供養する者は
 そうした人はたぐいまれに霊妙な奇瑞にあい かならず生死の苦しみを断つことができるであろう

と、千仏が口々に説くさまを夢に見たところで、目が覚めたのです。

寂照がその夢のことを玄奘三蔵に申しあげると、三蔵は「そのように、経文のなかから千仏が現れでるものなのだ」とおっしゃいました。
以上が、『大般若経』を供養し奉った初めてのできごとです。それ以降、国を挙げてこれを供養し、経典を肌身離さず大切にし、読経をするようになりましたが、霊験あらたかなことがほんとうに多く、今なお供養は絶えることなく続けられている、と、そのように語り伝えられているということです。

【原文】

巻7第1話 唐玄宗初供養大般若経語 第一 [やたがらすナビ]

【翻訳】
待兼音二郎
【校正】
待兼音二郎・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
待兼音二郎

待兼音二郎と申します。『今昔物語集』震旦部の翻訳を担当することになりました。この第1話から、まずは巻7の諸話を順々に紹介していくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。

さて震旦部は中国を舞台にした仏教説話群を中心とし、天竺部(巻1~5)に引き続いて、『今昔物語集』全31巻のうちの巻6~巻10を構成します。巻6では秦の始皇帝以来の仏教伝来と受容のエピソードがとりどりに語られ、『西遊記』でおなじみの玄奘三蔵による天竺への旅のお話も出てきます。

つづく巻7の冒頭を飾るのが、その玄奘三蔵の人生の最終章、中国に持ち帰った膨大な数の経典のなかから、『大般若経』全600巻の翻訳を完成させ、皇帝の隣席のもとに盛大な供養を行ったときに生じた奇瑞をめぐる物語です。

玄奘三蔵は645年に43歳(42歳の可能性もありますが、没年齢に合わせてこう解釈します)で帰国してからの余生を経典の翻訳に捧げました。その年に着手してから19年を要して物語中にある龍朔3(663)年、62歳にしてようやく完成させたのが、彼の訳業中でも最重要かつ最大の分量を占めるこの『大般若経』600巻でした。その大仕事をいよいよ終えることの感慨と安堵感からか、「玄奘今年六十有五(数え年にしても計算が合いませんが、602年ではなく600年生誕という説もあり、そこから数えて、「もうすぐ数えで65歳になる」という意味なら成立します)、かならずこの伽藍において命を終えるであろう」と語り、その言葉通りに翻訳完成の100日後に満62歳で没したと伝えられています。

さてその、『大般若経』(正式には『大般若波羅蜜多経』)とは、大乗仏教の最初期における経典群『般若経』を集大成したもので、その説くところは、「最高の真理(般若=智慧)から見るとすべてのものは実体がない(空〈くう〉)である」という教えです。我々日本人に馴染みの深い『般若心経』は、この『般若経』諸経の一部をなすものであるようです。

それはそうと、完成した翻訳経典を供養する儀式の最中に経典が光を放ち、空から花が降って芳香を放つというのは何とも劇的な光景ですね。ルネサンス期の絵画でボッティチェッリ作の『ヴィーナスの誕生』(1484年)という有名なテンペラ画がありますが、あの絵でホタテ貝の大きな貝殻に立つ全裸の女神ヴィーナスも、空中を舞う花に取り巻かれています。

絵の構図を詳しくみると、ヴィーナスの左側にいる花の女神フローラが振りまいた春の花が、フローラの隣にいる西風の神ゼピュロスが吹かせた風に舞っているということのようですが、奇瑞の光景を彩る花ということで類似性を感じずにはいられませんね。

また、仏教経典には仏が説法するときに、天から花が降ってくるという考えがあり、ここから転じて仏を供養するために花をまき散らすことを「散華」と呼ぶそうです。太平洋戦争中の玉砕や特攻を連想させる言葉でもあるのですが、由来はそんなところにあるのですね。

ちなみに前述の空から降る花は「四華/四花」(しけ)と呼ばれ、白蓮華すなわち曼荼羅華、大白蓮華すなわち摩訶曼荼羅華、紅蓮華すなわち曼珠沙華、大紅蓮華すなわち摩訶曼珠沙華の4つの蓮華のことなのだそうです。曼珠沙華というのはいわゆる彼岸花のことですから蓮の花とはまた違うかと思いますが、あの彼岸花が空から降る光景には何やら凄絶なものもありますね。

最後に幾つか語句の解説を。まず「供養」というと我々は死者への弔いを想像しますが、ここでは「仏・法・僧の三宝を敬い、これに香・華・飲食物などを供えること」(大辞林)という意味です。次に「四衆」は「比丘・比丘尼・優婆夷・優婆塞」の総称ですが、読みづらくなるので翻訳ではその詳細を省きました。なお「受持」は、「経典を身から放さず、その教えを深く信仰すること」で、この言葉は「誦持」と解釈した場合には「つねに身を放たずに読経すること」となって意味が変わってきますが、ここでは先行研究を踏まえて「受持」のほうで解釈しました。

巻七
スポンサーリンク
スポンサーリンク
ほんやくネットをフォローする
スポンサーリンク
今昔物語集 現代語訳

コメント

タイトルとURLをコピーしました