巻五第十三話 焼身した兎 月の兎が生まれた話

巻五(全)

今昔物語集 巻5第13話 三獣行菩薩道兎焼身語 第十三

今は昔、天竺に兎・狐・猿、三匹の獣がいました。彼らは誠の心を起こして菩薩の修行をしていました。
「わたしたちは前世に深く重い罪を負い、賤しい獣として生を受けた。これは前世に生きとし生ける者をあわれまず、財を惜しんで人に与えようとしなかったことの報いだ。だからこの生では、身を捨てて善いことをしよう」
3匹は最年長の者を親のように敬い、年長の者には兄のように接し、若い者を弟のように思って、自分よりほかの者を優先させました。

帝釈天はこれを見て、心を動かされました。
「彼らは獣だが、たいへんありがたい心を持っている。人の身ながら、生ある者を殺し、財産を奪い、父母を殺し、兄弟を敵のように思い、笑顔で悪心を抱いたり、恋い慕っているように見えながら怒りを宿している者も多い。しかし、このような獣が誠の心を抱いているとは思えない。試してみよう」
帝釈天はたちまち老い疲れすべての能力を失ったような老人に姿を変え、3匹の獣のもとに現れました。
「私は年老い疲れどうしようもありません。私を養ってください。私は子がなく、家がなく、食物もありません。あなたたちは深いあわれみの心を持っていると聞きました」

3匹の獣はこれを聞いて、「わたしたちの望むところだ。すぐに養うことにしよう」と言いました。
猿は木に登り、クリ・カキ・ナシ・ナツメ・ミカン・コクハ・イチイ・ムベ・アケビなどを取り、また里に出ては、ウリ・ナス・ダイズ・アズキ・ササゲ・アワ・ヒエ・キビなどを取ってきて、好みに応じて食べさせました。
狐は墓小屋におもむき、供え物の餅やご飯、アワビやカツオや様々な魚を取ってきて思うままに食べさせました。老人はすっかり満腹しました。

数日後、老人は言いました。
「猿と狐はたいへん深い心を持っている。すでに菩薩であると言ってもいいだろう」
兎は発奮し、灯をともし香をたいて、耳を高く腰を低くして、目を見開き前足は短く、尻の穴を大きく開いて、東西南北探し歩きましたが、ついに何も得ることができませんでした。

猿と狐、そして老人はあざ笑ったり辱めたり励ましたりしましたが、兎はやはり何も得られません。
「私は老人を養うために野山に行ったけれども、野山は恐ろしい。人に殺され、獣に食われる危険もある。無駄に命を落としてしまう可能性が高い。ならば、今この身を捨てて老人の食物となり、この生を離れることにしよう」
兎は老人に言いました。
「今、おいしいものを持ってきます。木を拾って火をおこして待っていてください」

猿は木を拾ってきました。狐はこれに火をつけて、兎が何か持ってくるかもしれないと待ちましたが、兎は手ぶらで帰ってきました。
猿と狐は言いました。
「俺たちはおまえが何か持ってくるというので、準備して待っていた。しかし、何もないではないか。ウソをついて木を拾わせ、火をたかせて、自分が暖まろうとしているのだ。憎らしい」
兎は言いました。
「私は力が及ばず、食物を持ってくることができません。我が身を焼いて食べていただきます」
そう言って、火の中に入って焼け死にました。

このとき帝釈天はもとの姿に戻り、すべての人に見せるため、火に入った兎の形を月の中に移しました。月の中に雲のようなものがあるのはこの兎が火に焼けた煙であり、「月の中に兎がいる」といわれるのはこの兎の形です。すべての人は、月を見るごとにこの兎のことを思い出します。

【原文】

巻5第13話 三獣行菩薩道兎焼身語 第十三 [やたがらすナビ]

【翻訳】
草野真一

【解説】
草野真一

手塚治虫の大作『ブッダ』のイントロとなった話である。数ある仏教説話のなかでもっとも有名なもののひとつだろう。手塚治虫は3匹を「兎・狐・熊」に描いていたが、たぶん絵ヅラを考えて改変したのだろう。

『今昔物語集』巻五は釈迦の前世について述べた話が多いが、本話の元ネタである唐の玄奘三蔵が記した『大唐西域記』は兎を釈迦の前世とはしていない。兎が月にいるとすれば、誰の前世でもあり得ないからだ。今昔物語はこれを「兎の形」として、かなりビミョーな表現をしている。
『大唐西域記』からのもっとも大きな改変は、猿と狐、2匹の器用なサブキャラクターをつくっていることだろう。この2匹が難なく食物を集めてくるからこそ、兎の絶望と焼身がひきたつのだ。

興味深いのは、兎が食物を探索に行く際、香をたいていること。仏教供養のためではないわけで、なんで香をたく必要があるんだろう。知ってる人教えてください。

帝釈天とはバラモン教の神インドラ神であり、仏教の守護神とされる。仏教とはバラモン教のなかから生まれてきたのだ。

私事になるが、大昔に京都の東寺で帝釈天像を見た。女性が「まあなんていい男」と言っていた。

国宝である。その後、仏像に接する機会は何度もあったが、これ以上のいい男には会ったことがない。平安時代の作だから、1000年はゆうに経過している。1000年前の像がいい男って考えてみりゃすげえ話だなあ。

寅さんの柴又帝釈天も有名である。

【参考】

http://home.kobe-u.com/lit-alumni/hyouronn19.html

なお、このテキストについて芥川龍之介がふれている。

「耳は高く」以下の言葉は同じ話を載せた「大唐西域記」や「法苑珠林」には発見出来ない。(この話は誰でも知っている通り、釈迦仏の生まれない過去世の話、――Jataka中の話である。)従ってこう云う生々しさは一に作者の写生的手腕に負うていると思わなければならぬ。遠い昔の天竺の兎はこの生々しさのある爲に如何にありありと感ぜられるであらう。

●クロアチア語

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