巻26第21話 修行者行人家祓女主死語 第廿一
今は昔、□□国□□郡に住む人がありました。
家にたくさんの犬を飼って置き、山に入って鹿や猪を食い殺させて、猟をすることを家業にしていました。
世間では、これを犬山というのであります。
さて常のこととて、多くの犬を引き連れて山に入りました。
食物など持って長い間、山に入っているときもあるので、今度も二、三日帰りませんでしたが、家では若い妻が一人留守居をしていました。
そのとき、一人の修行僧がやって来て、経を尊げに読み、食を乞いました。
僧の様子がまことに垢抜けていたので、「ただの下賤な乞食坊主ではあるまい」と思い、この女主(おんなあるじ)は僧の読むお経を尊び、家の中に呼び上げ、食事などを供養していると、僧が言います。
「私は乞食(こつじき)ではありません。仏道修行のため、諸国を行脚(あんぎゃ)しているのですが、食べ物が乏しくなったので、ここに来て、食を乞うたのです」と。
女主はこれを聞いて、いよいよ僧を敬うと、僧が、
「私は陰陽道の方にも詳しく、霊験あらたかな祭祀などもします」と言います。
女は、
「その祭祀をすれば、どういう良いことがあるのですか」
と、訊くと、僧は、
「心を込めて精進・潔斎し、その祭祀をすると、病気に罹らず、自然に財宝が増え、夫婦は和合し、万事思いのままになるのです」
と答えます。
女は、
「では、その祭祀をするには何が必要ですか」
と尋ねると、僧は、
「格別何も必要としません。ただ、御幣を作る材料に紙を少しと、白米少し、そのほか季節のくだものと油などが入用です」
と答えました。
女が、
「そのくらいでしたら、いともたやすいことです。では、その祭祀をしてくださいませんか」
と、言うと、僧は、
「まことにお安い御用です」
と言って、家に留まりました。
そして直ちに、女に沐浴・潔斎させて、精進を始めました。
僧は祭祀の道具を整え、三日目に、
「この祭祀は清浄な深山に、たった一人で行って、行うのです」
と言い、三日目にその祭祀の道具を持って、僧は女と二人だけで深い山に入って行き、幡(はた)を立て並べ、御洗米や季節の果物などをまことに仰々しく整え置いて、それから祭文を読んで、祭祀を終えました。
女は、「夫の留守の間に、素晴らしい祈祷をしたものだ」と思って、急いで帰ろうとすると、僧はこの女の若々しく美しいのを見て、にわかに欲情がつのり、理性を失ってしまいました。
そこで女の手をとらえ、
「私は今まで一度も女に近づいたことはないのですが、あなたを見たとたん、仏様のおぼしめしなど気にかけず、ここで想いを遂げようと思います」
と、言います。
女が手を振り切って逃れようとすると、僧は刀を抜き、
「言うことを聞かないと付き殺してやる」
と迫ります。
女は、人影もない山中なので、どうすることもできないでいると、僧は藪の中に引き入れて、まさに犯そうとします。
女は逃げようにも逃げられず、ついに僧の言うままになってしまいました。
一方、夫の方は、犬たちを連れて山から家へ帰って来ていましたが、これも何かの因縁なのでありましょうか、ちょうどそのとき、そこを通りかかると、藪の中で何かがガサガサと音がし、物の動く気配がします。
夫は立ち止まり、「この藪の中に、鹿がいるのだ」と思って、大きな[疾]雁矢(とがりや・先に尖った鏃をつけた四枚羽の矢)をつがえ、弓を強く引いて動くところに差し当てて射ると、人の声で、
「あっ」
と叫びます。
驚き怪しんで傍に駆け寄り、草をかき分けて見ると、法師が女の上に重なっており、矢はそのど真ん中に命中していました。
「不思議な」と驚きあきれ、法師を引きのけると、法師は深々と射られ、そのまま死んでしまいました。
下の女を見れば、自分の妻であります。
「もしや、見間違いではあるまいな」と思い、引き起こすと、確かに妻なので、
「おい、これはいったいどうしたことだ」
と訊くと、妻は事の次第を詳しく話しました。
そばを見ると、本当に御幣や御供物などがまことに仰々しく並べて立ててあります。
そこで、法師を谷底へ引き捨て、妻を連れて家に帰りました。
あきれた坊主を仏が「憎いやつだ」とおぼし召されたのでありましょう。
そしてまた、これも前世の宿業の招くところと知るべきであります。
それにしても、これを思うと、世の人は上下を問わず、考えもなく得体のしれない者の口車に乗って、女が一人で勝手に事を行うのは止めなければならない、とこう語り伝えているということです。
【原文】
【翻訳】 柳瀬照美
【校正】 柳瀬照美・草野真一
【解説】 柳瀬照美
悪僧にたちまち仏罰が下ったという話。作者はこれを前世の宿報と解している。
【参考文献】
小学館 日本古典文学全集23『今昔物語集三』
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