巻27第20話 近江国生霊来京殺人語 第二十
今は昔、京から美濃・尾張(岐阜県・愛知県)の方に下ろうとする下郎がおりました。
京を暁に出立しようと思い、夜深くに起きて行くと、□□と□□の辻で、大路に青みがかった衣を着た女房の裾を取ったのが、たった一人で立っていたので、「なぜあの女は一人で立っているのだろう。よもや一人でいるなんてことはあるまい、男と一緒なのだろう」と思って、歩いて過ぎようとしました。
この女が男に言うには、「そこの御通りの方はどちらに行かれますか」と問うので、男は、「美濃・尾張の方へ下るのです」と答えました。女が言うには、「それではお急ぎでしょうね。それでも申し上げなければならないことがございます。しばらく止まってください」と。
男は、「どのようなことでしょうか」と言って立ち止まると、女は言いました。「この辺りに民部の大夫□という人の家があるそうです。どこにあるのでしょうか。そこへ行こうと思うですが、道に迷って行くことが出来ないので、わたしをそこへ連れて行ってもらえませんか」。
「その人の家にいらっしゃるのに、なぜこんな所にいらっしゃるのですか。その家はここから七・八町(約760-870メートル)ばかり行った所にあるのですよ。私は急いでいるので、そこまで送り届けているわけには参りません」
女はそれでも、「大変大事なことなのです、一緒に連れて行ってください」と言うので、男はしぶしぶ連れて行くことにしました。女は、「なんと嬉しいこと」と言ってついてきました。
怪しく恐ろしげな気配だと思ったものの、「別にどうという理由も無いのだろう」と思って、女の言った民部の大夫の家の門まで送り届けました。
「ここがその人の家の門です」
「こうして急用にもかかわらず、わざわざここまで送り届けてくれまして、本当に嬉しいことです。私は近江の国(滋賀県)、□□の郡のそこそこにあるしかじかという人の娘です。東国にいらっしゃるのでしたら、その道中に近いところです。必ずお寄りください。いろいろ申し上げたいことがございます」
目の前に立っていたのに、女はかき消すように消えました。
男は思いました。
「なんとも奇妙なことだ。門が開いてるからこそ門の内側に入れるはずなのに、この門は閉じている。これはどういうことだ」
男は髪の毛が太くなって(逆立って)恐ろしく、すくんだように立っていると、この家の中で突然泣き騒ぐ声が聞こえてきました。
「どういうことだろうか」と聞くと、人死の気配でありました。
「不思議なことだ」と思って、しばらくうろうろしていると、夜も明けたので、「このことをを尋ねなければ」と思って、夜が明け切ってから、その家の中にちょっと知った人がいたので、尋ねて様子を聞いてみると、その人が言うには、「近江の国にいらっしゃる女房の生霊が入りなさったということで、この殿は日頃病気を患っていらしたが、この明け方に『その生霊が現れた気配がする』と言うと、突然お亡くなりになりました。生霊とはこうして人を憑り殺すものなのですね」
そう語るのを聞くと、この男もなんとなく頭が痛くなり、「女は礼を言っていたが、そのせいのような気がする」と思って、その日は留まって家に帰りました。
男は二日ほど経ってから東国へ下りました。あの女の教えた辺りを過ぎない内に、男は、「さあ、あの女をたずねて行ってみよう」と思いました。たずねると、本当にその家がありました。
近寄って、人づてに「こういうことがあった」と言って入らせてもらいました。女がいて、簾越しに会い、「この間の晩は永久に忘れることができません。お礼させてください」と言いました。食事をふるまわれ、絹の布などをもらい、男はいよいよ恐ろしく思ったけれど、お土産を受け取って、近江・尾張へと下りました。
生霊と言うのは、ただ魂が憑り付くことかだけではありません。生きている人が現実に自覚していることもあるのです。女は、その民部大夫が妻にしたが、離縁されたので、恨みに思って生霊となって殺したということです。
女の心は恐ろしいものだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 長谷部健太
【校正】 長谷部健太・草野真一
【協力】草野真一
【解説】長谷部健太
人の生霊が現れて恨みのある元夫をとり殺すという、『源氏物語』における六条御息所を思わせる話である。しかもこの本体である女性も主人公と御簾越しに対面していて、身分の高さをうかがわせる。
その生霊自体、実体を持っていて人に連れて行ってもらわないといけないというのは主人公の男が語ったという形式にするための設定と思われる。
【参考文献】
日本古典文学大系『今昔物語集 四』(岩波書店)
『今昔物語集 本朝世俗篇(下)全現代語訳』(講談社学術文庫)
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