巻28第4話 尾張守□□五節所語 第四
今は昔、□天皇の御代に、□という者がおりました。万年受領で、官位にありつけずうだつのあがらないままだったところ、やっとのことで尾張守に任命されたので、喜びいさんで任地にくだりましたが、尾張国はすたれきっていて、田畑を耕すことも全くなかったのです。この尾張守は元来実直なタイプで、わきまえもあったので、前からの赴任地もよく治めていました。それで、この国に赴任した後、地方行政をうまく行ったため、尾張国も他所並みになり豊かになって、近隣の他の国から大勢の人たちが集まってきて、山地を切り拓いて田畑に開墾したので、二年もすると、良い国になったのでした。
そうすると天皇もこのことをお聞きになり、「尾張国は前任者がダメにして、最悪だと聞いておったのに、今の尾張守が赴任して、二年にしてよくぞ豊かにしたようだな」とおっしゃったので、上達部も世間の人たちも「尾張はよい国になったものよ」とほめたたえました。
そして三年たった年、この尾張守が五節を担当することになりました。尾張は絹、糸、綿などの生産地なので、何一つ不足はありません。ましてこの尾張守はもともとデキる男で、衣装の色目や打目、針目、すべていい感じに整え用意して奉りました。五節の舞姫の控室は常寧殿の西北の角にしつらえられたのですが、簾の色、几帳の帷子、簾からチラ見せする女房達の衣など、センスの良いコーディネイトです。「ここは色がイマイチじゃないか?」と思われるところはありません。なので、「すごいやり手ですな」とみんながほめちぎりました。おつきの人や女童も、他の五節の舞姫よりいい感じなものだから、殿上人、蔵人など、いつもこの尾張の五節所のあたりにうろついて、気のあるそぶりをしていましたが、この五節所の中に、尾張守を筆頭に子どもや親類たちがみなぞろ屏風の後ろに集まっていたのです。
というのも、この尾張守は、身分の低くない家柄ではあるけれど、どうしたわけだったのか、この守の親も本人も、蔵人にもならず、殿上も許されていなかったので、宮中界隈の事情を伝え聞くこともなく、ましてや見たこともなかったのです。当然子たちもまったく知らないのでした。それで、御殿の建て方や造り、宮様方の女官たちが唐衣、千早を着用して歩き、殿上人や蔵人が出袿をし、織物の指貫を着て、いろいろ着飾って通るのを、この五節所の中に集まって、ひたすらこの様子に目をとめて、追いかけて簾のところにすずなりになって見ていました。そこに殿上人が近寄ってきたので、屏風の後ろに逃げ隠れるうちに、先に逃げる人が後ろから逃げてくる人に指貫を踏まれて倒れたところ、後から来た者もまた躓いて倒れます。ある者は冠を落とし、ある者は「とにかく、自分はさっさと隠れよう」とあわてて入ります。入ったらそのままかがんでいたらいいのに、また少し人が来ると、追いかけて出て見るのでした。そんな風だから、簾の内側のみっともないことったら。若い殿上人や蔵人などは、このありさまを見て面白がって笑いました。
そうしている間、若い殿上人たちが宿直所にいて、みんなで言い合うには、「この尾張守の五節所、配色のセンス抜群だよね。おつきや女童も、今年の五節の舞姫ではここがナンバーワンだな。とはいえ、この尾張守の一家は宮中のことを全く何にも知らなくて、ほんのちょっとのことで見たがり聞きたがり、野次馬根性丸出しでおっかけてるんだよ。それに我々にビビッて、近寄ったら隠れて大騒ぎって、ほんま、アホとちがうかな? なあなあ、なんか考えて、ビビらしてやろうぜ。どうしてやろうかな?」と。一人の殿上人が言うには、「なんとかかんとか」、また別の殿上人が「いいこと思いついたぞ」と言います。
「どうしようっていうんだい?」と聞くと、
「この五節所に行って、親切そうにこう言うんだ。『この五節所を、殿上人たちが笑いものにしています。心得ておきなさいませ。殿上人たちが企んでいるのはね、ありとあらゆる殿上人がこの五節所をビビらせるために、みんな着物の紐を解いて、直衣、表衣をずり下げて、五節所の前に立ち並んで、歌を作ってうたおうというんです。その作った歌というのは、
鬢だたらをあゆかせばこそゆかせばこそ愛敬付きたれ
というんです。「鬢(びん)だたら」というのは、尾張守の毛が薄くて鬢の毛が落ちている、そんな鬢だたらで五節所で若い女房達の中に混じっていらっしゃるのを歌うようなのです。「あゆかせばこそ愛敬付たれ」というのは、尾張守の後を向いて歩きなさるのが□であるのを歌うようです。こんなふうにお知らせいたしますのを、事実だとは信じなさいませんでしょうね。それでは明日の未申の時刻(午後1時~3時)ごろに、殿上人や蔵人がみなこぞって、片肌脱いで直衣や表衣をみんな腰穿きにして、老いも若きもこれを歌ってやってくるならば、今申したことを事実だったのだと信じてくださいませ』と言ってやろうと思うんだ」と言うと、他の殿上人が「ほんとに君が言って、うまいこと言って聞かせろよ」と約束して、解散しました。
このように言った殿上人は、寅の日のまだ朝早いうちに、例の尾張守の五節所に行って、守の子息の若者に会って、親切ぶって、このたくらんだことを仔細に語って聞かせたところ、ひどくおびえた様子で聞いていました。言い終わったところで「くだらぬ話をしてしまった。他の人たちに見られるかもしれない。こっそり見つからないように帰ろう。『こんなふうに聞いた』と、他の人たちにはどうか言わないでくださいよ」と言って立ち去りました。
この守の子息は、親の所に行って「新源少将の君がいらして、こんなことをおっしゃっていたのです」と言うと、親の尾張守はこれを聞きつつ「さてさて」と言いながら、ただ身を震わせて、頭をわなわな震わせて、「夜中に公達がこの歌を歌っていたのを、『何を歌っているのかな』と不審に思っていたのだが、さてはこのじじいのことを歌っていたのだとは。どんな落ち度があって、こんなふうに年寄りのことを歌にしてはやしたてるというのか。尾張の国が代々の国司にめちゃくちゃにされて荒れ果ててしまったのを、天皇が見捨て難くお思いになったから、『何とかしよう』と思って、あらゆる策を講じて、良い国に安定させ申し上げたのが悪かったというのか? また、このたび五節を奉るのは、こちらからやりたいと希望したものではないぞ。天皇が無理に割り当てられて要請なさったので、とてもキツいのに受けたのだというのに! それに、鬢の毛がないのは、若く働き盛りのときにハゲたのなら、アホみたいで笑えるだろうよ。年も七十になって、ハゲたからといって何がおかしいんだ! そしたらなんで『鬢だたら』なんて歌っていいもんか! それに、自分に落ち度があるなら、ぶち殺し足蹴にして踏んだらいい。なんで天皇のいらっしゃる王宮の中で、紐を解いて片肌脱いで歌い狂ったりしていいんだ? 絶対にそんなことあってはいかんだろう。その少将の君が、おまえが出て行かずに室内にこもっているから『ビビらせてやろう』と思って嘘を言われたのだろう。近頃の若い者ときたら、思いやりもなく、こんなうそっぱちを言うんだ。そんな風に、他の人ならおどしてたばかるのだろうが、このわしは、身分は卑しいが、唐のこともこの国のことも何でも知っている身だからな、そんな風だとはご存知ない若い公達が、口から出まかせを言って怖がらせなさったようだな。他の人はだまされても、このじじいはだまされないぞ。もし怖がらせられたように本当に王宮の中で、そんな風に着物の紐を解いて、腰穿きにしてアホなことをしたら、身から出たさびでその人たちは重い罪にあたってしまうものを。ああ気の毒にな」といって、糸のような痩せた脛を太ももまで着物をまくりあげて、バタバタ煽ぎまくって憤っていました。
そんなふうに腹を立てていても、「昨夜、東面の道で、この公達がふざけまわっていた様子からして、きっとそんな風にしてしまうにちがいないよ」と思われたので、ようやく未の時刻(午後1時~3時ごろ)になるころに、何が起こるのだろうとみんなではらはらドキドキしていました。未の時刻の終わりごろに、南殿の方から歌い騒いでくる声がきこえます。「ほら、おいでなすった!」と集まって、舌を丸めて顔をふりふりビビりまくってっていたところ、南東の方からこの五節所に押し寄せてくるのを見ると、一人たりともまともな者はいないのです。みんな直衣も表衣もお尻までずり下げています。みんなで肩を組んで押し寄せて、よりかかるようにして中を覗きます。五節所の前の畳のへりに、ある者は靴を脱いで座り、あるものはごろ寝し、ある者は尻を乗せ、またある者は簾によりかかって中を覗いてきます。ある者は庭に立っていました。
その人たちがみんな、声を合わせて「鬢だたら」の歌を歌います。このようにおどかしていたのを知っている若い殿上人四、五人は、簾の中にいるみんながビビりまくっている様子を笑っていたけれど、その事情を知らない年長の殿上人たちは、こんなふうにこの五節所のすべての人たちがおびえてふるえているのを、非常に不審なことと思っていました。
さて尾張守は、あんなに「そんなことあるはずがない」と理屈を述べ立てて、言い張っていたけれども、ありとあらゆる殿上人、蔵人がみんな片肌脱いでこの歌を歌って近付いてきた時には、「この(ことを教えてくれた)少将の君は、年少ではいらっしゃるけれど、人のために信頼できる御心をおもちなので、本当のことを教えて下さったのだなあ。このように教えてもらっていなかったら、自分のことを笑いものにしているとは思わずに、ぼんやりしていたであろうに。ありがたい少将の君の御心だな。彼の未来が末永く幸いであらせられますように!」と言って手をすりあわせて祈っていました。そこにやってきたこの殿上人たちは、一人もちゃんとした者もいなく、しこたま酔っ払って、片肌脱いだ人たちが簾の内側を覗いたりするその時に、尾張守は「今にもわしは引きずり出されてよぼよぼした腰を踏み折られてしまう」と思ったので、あわをくって屏風の後ろにもぐりこんで、壁の代わりの調度の隙間でうち震えていました。子どもや親族などは、みな折り重なって逃げ隠れてふるえていました。
そうして殿上人たちはみんな殿上の間に戻っていきました。その後でもまだ「公達はいるのか? いるのか?」と見にいかせて、「一人残らずみな戻られました」と言ったので、その時になってやっと尾張守は震えながらはい出てきて、震える声で「なんでこの年寄りを笑いものになさるのか。帝のために、こんなに無礼をいたすとは、あきれたことだ。この人たちは必ずやただではすまないぞ。よーし、見ておれ、おまえたち。天地日月□かに照らしなさいます神代以降こんなひどいことはなかったぞ。国史を見てもこんなこと書いていない。まったくひどい世の中になってしまったものよ」と天を仰いで嘆いていました。
隣の五節所の人たちが覗き見しておかしく思って、後に関白殿の蔵人所に参ってこの話をしたのを聞いた人が言いふらして、身分の高い貴族、宮様方にまで伝わってしまって、散々笑いものになったのでした。その当時は、人が二人三人集まったところでは、このことを語り草にして笑っていた、と語り伝えているらしいのです。
【原文】
【翻訳】 中嶋庸子
【校正】 中嶋庸子・草野真一
【解説】 中嶋庸子
・五節の舞姫を出す担当にあたるのは、お金もかかることから、家の威光を示すチャンスでもあり、かの光源氏もよその家にひけをとるまいと贅を凝らして準備をした。
・五節の舞姫は各家が選りすぐりの美人を出すことから注目度は高く、光源氏の恋人のひとり筑紫の五節、夕霧の愛人になった惟光の娘のように、貴公子の目にとまって恋人になることも多かった模様。今でいうならミス五節の舞姫といったところか。
・『枕草子』に、受領の家から五節を出すのに、その家の北の方が宮仕えの経験があれば、事情がわからないからといってあれこれ聞きまわったりするようなみっともないことにはならないといった記述がある。宮中行事の事情がわからなくて聞いて回るのさえみっともないというのだから、ましてや物見遊山で一族郎党がドタバタ浮足立っているのは、田舎者丸出しでみっともないの極みということであろう。
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