巻29第30話 上総守維時郎等打双六被突殺語 第三十
今は昔、上総(千葉県中央部)の守で平維時朝臣(たいらのこれときのあそん)という人がいました。この人は□□(欠字。平維将のこと)の子で、優れた武将でしたので、朝廷の公務でも私的な用であっても、僅かな油断や怠慢も全くありませんでした。
さて、維時の家来に、名はわかりませんが、通称、大紀二という人がいました。維時の元には多くの家来がいましたが、中でも大紀二は大層秀でた武士でした。背が高く、風貌が立派なことでも目に立ち、また武士としても力が強く、足も早く、肝っ玉が座っていて思慮深く、かなりの腕利きでした。維時は大紀二を家来筆頭として仕えさせていましたが、知恵や力の足りないところは微塵もありませんでした。
ある時、維時の館で大紀二が同僚と二人で双六を打っていると、身分の低い、左右の髪がぼさぼさでだらしない様子の雑用係の年若い男が双六盤の脇で大紀二たちの打っているところを眺めていました。大紀二の相手が良い目を出して、大紀二が次の手を考えあぐねていたところ、この小男が「こう引けば良いのに」などと差し出口をしてきました。大紀二は激怒して、「馬鹿者の差し出口めが、こうしてやる」と言って賽を振る筒の尻の部分で小男の目の縁を強く突きました。小男は涙を流して立ち上がり、立ち去ると見せかけて、突然大紀二の顔を仰け反って突きあげました。剛力の大紀二とは言えど、思いもかけないことでしたので、思わず仰向けに倒れました。小男は自分の刀を持っていませんでしたので、大紀二の体を押し倒しながら腰の刀を引き抜いて、乳のあたりをびくびくしながら一寸ばかり突きました。そうして刀を手に提げたまま大紀二の体の上から踊るような足取りで逃げて行きました。大紀二の双六の相手も(欠字。飽きれか)唖然としてどうにも手出しが出来なかったので、小男はそのまま逃げ去ってしまいました。大紀二は急所を突かれていましたので、再び起き上がることもなく、仰向けに反り返ったまま死んでしまいました。
館の中にいた人たちはこの時になって、小男を捕まえようと大騒ぎをして探し回りましたが、どうして小男がその辺にうろうろしていたりするでしょうか。跡も残さず行方をくらましてしまいましたので、仕方なくそのままになってしまいました。
そうしてみますと、この小男は、力だろうが何にだろうが、すべて大紀二の爪先にも対抗出来るはずもありませんでしたが、だからと言って侮ったばかりに、大紀二はこのように不甲斐なくもただ一太刀で、死に際に言葉を残すことさえ出来ずに突き殺されてしまったのです。主人の維時や館中の人々も皆、驚嘆して騒ぎましたが、この小男の行方は一向に分からずじまいでした。主人の維時は大紀二を大層惜しんで悲しみました。
大紀二は本当に優れた武士でしたが、油断していたのは大層だらしのないことでした。「そのように目の縁を手酷く突いたりすれば、男たる者、安穏としていられるはずがない」とは考えもせず、そのことに思い至ることもなかったため、突き殺されてしまうことになったのです。
この話を聞いた人は皆、「やはり人を侮るのは感心できることではない」と言って非難したと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 草野真一
双六は平安時代、大いに流行しましたが、おそらくは現在の賭け麻雀や賭け将棋のように(どちらも違法)、金銭かそれに類するものを賭けておこなわれていたと考えられます。この話は双六で殺人が起こったことを語っていますが、金品がかかっているからこそ冷静さを欠き、事件になるのです。なにも賭かってない平和なゲームで人が死ぬことはふつう、ありません。
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