巻29第33話 肥後国鷲咋殺蛇語 第卅三
今は昔、肥後の国(熊本県)の□郡に住んでいる人がいました。家の前に榎の大木が生えていて、その枝が繁ってかぶさるようになっているところに鷲小屋を作って、そこで鷲を飼っていました。
ところが、多くの人々が見ていますと、長さ七、八尺(約2〜2.4メートル)程もありそうな大きな蛇が枝を伝って、鷲小屋の方へ下りてくるのです。
「この蛇がどうするのか見てみよう」と集まって見ていますと、蛇は更に枝を伝い下りて鷲小屋の上までやって来てとぐろを巻き、頸を下へ延ばして鷲小屋の中をのぞきました。その時鷲はぐっすり眠っていたので、蛇は鷲小屋の柱をそろそろと伝い下りて寝ている鷲のところへ行き、頭をもたげて鷲のお腹辺りに顔を当てました。そして、口を大きく開けて鷲のくちばしを根本まで咥え込みました。蛇の尾は鷲の頸から体を五巻きか六巻き程絡め巻いて、まだ残っている部分で鷲の片足を三周半くらい巻いてから、鷲の体を縛るように絞め上げました。羽毛が逆立ち、蛇の体がその中へ沈みこむと、蛇は鷲の体が細くなったように見えるくらい強く絞め付けました。その時鷲は少し驚いたように目を見開きましたが、くちばしを咥え込まれていたからか、また目を閉じて寝てしまいました。
この様子を見ていて、「鷲は蛇の催眠術にでもかけられたように見えます。このままでは鷲は死んでしまうに違いありません。さあ、蛇と鷲を引き離しましょう」と言う人もいましたが、「どんなことがあるとしても、鷲が蛇などに催眠術をかけられたりするはずはありません。どうするのか見てみましょう」と言う人もおりましたので、あれこれ口出しせずに事の行く末を見守ることにしました。
鷲は再び目を見開いて顔をぶるぶる振りました。鷲のくちばしを根本までのんでいる蛇が、鷲を下の方へ引き下げるようにしました。その時鷲は蛇の尾が巻き付いていない方の脚を持ち上げて頸や肩の方まで巻き付いている蛇に爪を立てて摑むとさっと引いて踏みつけましたので、くちばしを咥えていた蛇の頭も抜けて離れました。次に巻き付かれたままの脚を持ち上げて、翼ごと巻かれているところをまた摑んで、最初と同じように引いて踏みつけました。そうして前に摑んだところを持ち上げて、ぶつりと噛み切りました。それで蛇の頭の方の一尺(約30センチメートル)ほどが切れました。また、後から摑んだ方も脚で持ち上げて噛み切りました。そしてまだ脚に巻き付いていた残りの部分も噛み切りました。このように三つに噛み切って、くちばしで前の方に投げやると、鷲は体をばさっと振るわせて翼を整え、尾羽を打ち振るなど、まるでつい先程やったことは大したことでも何でもないというかのような様子でした。
これを見ていた人々の内、先程「まさか、鷲が蛇に催眠術をかけられるなどということはあるはずがない」と言っていた人は「思った通りです。どんなことがあったとしても蛇などに催眠術をかけられたりするものではありません。いやしくも鷲は鳥類の王ですから、他の鳥たちとは魂が違い、特別なのです」と広言してはばかりませんでした。
しかるに、蛇の魂というのはとても身の程知らずなのでしょう。もとより蛇は自分より大きな物をのむと言われますが、鷲をのんでやりたいと思ったのは愚かでした。
ですから、人もこのことから学ぶべきではないでしょうか。自分より優れた人を倒し損なおうなどと思うのは、必ず止めておくべきです。さもないと、逆に自分の命を失ってしまうことがあるのです。と、そう語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
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