巻29第34話 民部卿忠文鷹知本主語 第卅四
今は昔、民部卿の藤原忠文という人がいました。京都の宇治に住んでいましたので、世間では、宇治の民の司の守と呼ばれていました。
忠文はとても鷹狩の好きな人でした。ちょうどその頃、式部卿の重明親王(醍醐天皇の第四子)という方もまた、たいそう鷹狩を好んでいました。この親王殿下が、民部卿の忠文は大変優秀な鷹を数多く飼っているらしいと聞き付け、「良い鷹を譲ってもらおう」と思って忠文の住む宇治までお出でになりました。
重明親王殿下がお出でになったと知って、忠文は慌てふためいて、奥の間から出て来て殿下をお迎えし、「思いがけなく殿下御自らがこちらまでお越しになるとは、私にどのような御用でしょうか」と尋ねますと、殿下は「あなたが優秀な鷹を数多く飼っていると聞いたので、なんとか一羽譲ってくれないかと思って来たのです」と仰いました。忠文は「殿下ともあろうお方なら、誰か人を介して仰せ下されば良いところを、わざわざご自身で足を運んで来られたのに、お譲りしないなど、どうして申せましょうか」と言って、鷹を取りに行きました。
さて、忠文は数多くの鷹を飼っていましたが、その中で最も優秀だと認じている鷹は、そんじょそこらにはちょっといないような賢い鷹で、雉を追い捕らえるために飛ばしてみれば、必ず五十丈(約150メートル)も飛ばない内に獲物を捕ってくる鷹でしたから、それを手放すのはしのびなく思われ、その次に優秀な鷹を選んでお譲りすることにしました。その鷹も優秀な鷹ではありましたが、先程の鷹とは比べ物になりませんでした。
鷹を譲り受けた重明親王は喜んで、ご自分の肘に鷹をとまらせたまま都へお帰りになる道中、雉が草原に下りてきて寝ようとしているところをご覧になり、この鷹に捕らせてみようと思われました。ところが、その鷹は見掛け倒しの無能だったようで、雉を捕り逃してしまいました。親王殿下は「こんな無能な鷹を掴ませるとはなんてことだ」と腹を立てて忠文の家まで戻って鷹を突き返しました。忠文は鷹を受け取って「この鷹が優秀な鷹であると思ったからこそお譲りしたのですが、お気に召さなかったようですから違う鷹をお譲りしましょう」と言い、「こうも格別にお望みなのだから」と思って、最も優秀だと思っていた鷹を渡してしまいました。
親王はこの時も鷹を肘にとまらせて帰京の途についていましたが、木幡(宇治北部)の辺りでこの鷹が本当に優秀なのか試そうと思いました。そこで草原に犬を入れて雉を追い立てさせ、雉が飛び立つと、鷹に捕らせようとしたところ、この鷹も雉を捕ることなく、それどころかそのまま飛び去って雲の中へ入って見えなくなってしまいました。すると親王は、これは鷹が無能なのではなく、自分の鷹を操る技量が足りないからだと覚ったためか、何も言わずそのまま都へ帰られました。
このことから、忠文のもとではとてつもなく賢かった鷹が、親王殿下の手に渡ると無能にも獲物を捕れずにいなくなってしまったのは、鷹も、自分にとっての真の主人を知っているからだと思われます。
仏の知恵無き鳥や獣であっても自らの真の主人を知っているというのはこのように明らかです。まして、ものの解った心ある人ならばなおのこと、事の次第をわきまえて、もっぱら近しい間柄の人には親切にするのが良いでしょう。そう語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
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