巻29第39話 蛇見女陰発欲出穴当刀死語 第卅九
今は昔、若い女が陽明門から入った近衛の大路を真っ直ぐ西へと向かっていました。小一条は宗像明神のあるところですが、その北側の路を歩いていましたところ、急な尿意におそわれたのか、築垣(土塀)に向かって南向きに(宗像明神の方を向いて)しゃがんで用をたし始めましたので、お供をしていた召使の女の子は「もうし終えて立つかしら、もうし終えて立つかしら」と思いながら立っていました。それは辰の時(午前八時)頃のことだったのですが、次第に時間が経って、二時間程しても女が立ち上がりませんでしたので、女の子は「どうしたのかしら」と思いながら「もしもし」と声をかけましたが、女は何も答えずただ同じようにしゃがんでいました。更に時間が過ぎて四時間が経過し、太陽も高く昇って正午になっておりました。声をかけても女は全く何も答えませんでしたので、召使の女の子は幼いこともあり、ただ声を上げて泣くことしか出来ませんでした。
その時、馬に乗った男が多数のお供を連れてそこを通り過ぎようとすると、女の子が泣いておりましたので、「そこの子はなぜ泣いているのだろうか」と思い、お供のものに訊きに行かせました。女の子が「これこれこういうことがあったのです」と答えましたので、男が見てみますと、確かに、動きやすいように着物の裾を引き上げてその上から帯を結び、市女笠を被った女が築垣の方を向いてうずくまっていました。
「この人はいつからこうしているのか」と聞きますと、女の子は「今朝からずっとです。これでもう四時間ほどになります」と答えて泣きました。男はいぶかしく思って馬から降りて近寄り、女の顔を見ますと、顔色を失い、まるで死んだ人のような様子です。「これはどうしたことだろう。病気なのか。普段もこんなふうになることがあるのか」と聞きましたが、女は口もききません。召使の女の子は「これまでこんなふうになったことはありません」と言います。男は女をまじまじと見ますと、全く身分の低い人ではありませんので、気の毒になり、手を引いて立たせようとしてみましたが、女は動く様子もありませんでした。
そうしていたとき、男が向かい側の築垣の方をさっと何気なく見ましたところ、築垣に穴が開いていて、大きな蛇が頭を少し引き入れてこの女を見つめていました。「さては、この蛇が、女が用をたしているときに陰部を目にして愛欲の煩悩を起こし、女を催眠術にかけて正体を失わせたので、女は立てなくなっているのだな」と分かりましたので、男は前に差していた短剣を抜いて、蛇のいる穴の口から奥の方に刃を向けて強く立てました。
そうしてお供のものに女を抱え上げさせて、連れてその場を離れようとしますと、蛇が突然築垣の穴からまるで鉾を突くような勢いで出てきましたので、刃によって二つに裂けました。一尺(約30.3センチメートル)ほども裂けてしまいましたので、穴から出きれずに蛇は死んでしまいました。女を見つめて催眠術をかけていたのに、急に去ってしまいそうになったのを見て、蛇は刀が立ててあるのも知らずに出てきてしまったのです。ですから、蛇の愛欲の心は驚くべきほどに恐ろしいものであったに違いありません。行き交う人々が見に集まったのも道理でありました。
男は馬に跳び乗って去りました。お供のものが刀を取りました。男は女を気がかりに思ってお供をつけてしかと送り届けたとのことです。すると女は、病身の人のように手を取ってもらってなんとか少しずつ歩いて行きました。その後のことは分かっていません。
ですから、女の人は(蛇のいそうな)藪に向かって用をたすようなことはするべきではありません。
この話は、見ていた人が話していたことを聞き集めて、このように語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一
【解説】 昔日香
仏教では、蛇は愛欲の煩悩を象徴するとされています。
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