巻3第1話 天竺毗舎離城浄名居士語 第一
今は昔、天竺の毗舎離城(びはりじょう、ヴァイシャーリー)に浄名(維摩、ヴィマラ・キールティ)居士(在家者)という翁がいらっしゃいました。この方の住まわれていた部屋は僅か5畳ほどの広さでした。ところがその狭い部屋に十方の諸仏が集まっていらっしゃり、法をお説きになるのです。諸仏は各々限りない数の菩薩・聖衆をお引き連れになり、その狭い部屋の中にそれぞれ非常に美しい台座を用意され、三万二千もの仏がそれにお座りになり法をお説きになるのです。限りない数の聖衆は皆仏に付き添っています。居士もそこにいらっしゃって法をお聞きになっています。それでも部屋の中にはまだ余裕がありました。この浄名居士の不思議な神通力によるものです。そこで、この仏の部屋を十方の浄土にも勝る非常に不思議な浄土であるとお説きになりました。
また、この居士はいつも病に伏せっていらっしゃいました。あるとき文殊が居士の部屋にいらっしゃり、「居士は常々病に伏せって悩んでいらっしゃると聞いていますが、一体何のご病気ですか?」とお尋ねになりました。居士は「私の病気は、生きとし生ける全てのもののの煩悩を病んでいることです。それ以外の病気はありません」とお答えになりました。文殊はこれをお聞きになり感動して帰られました。
また、居士は八十余歳であられて歩行がままならない状態であっても、仏が説法されているところに参らんと思いお出かけになりました。その道のりは四十里(約156㎞)でした。居士は仏の御前に歩み参りなさり、仏に「私は年老いて足を運ぶのも堪えられない状態ですが、説法を聞くために四十里の道のりを歩んで参りました。その功徳はいかばかりでしょうか?」と申されました。仏は居士に答えて「そなたは説法を聞くために来た。その功徳は限りないものだろう。そなたが歩む足跡の土をとって塵と成し、その一つの塵につき一劫(宇宙が誕生し消滅する時間)とし、その塵の数だけその罪を滅しよう。また命はその塵の数と同じだけ続くであろう。また、仏に成ることに疑いはないだろう。おおよそこの功徳ははかりないものである」とおっしゃりましたので、居士は歓喜してお帰りになりました。
説法を聞くために参上する功徳はこのようなものであると語り伝えられております。
【原文】
【翻訳】 吉田苑子
【校正】 吉田苑子・草野真一
【協力】 草野真一
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