巻3第10話 金翅鳥子免修羅難語 第(十)
今は昔、金翅鳥という鳥がいました。その鳥は須弥山の側面の洞穴に巣を作り、そこで子供達を産み育てていました。須弥山は高さ十六万由旬(ヨージャナ、古代インドの長さの単位)はある山で、水面より上に八万由旬、下に八万由旬あり、この水面から上四万由旬のところに巣を作っておりました。
さて、阿修羅王という者がおり、体が極めて大きいものでした。住処が二つあり、一つは海の畔で、一つは大海の底にありました。その海の畔というのは須弥山の谷間で大海の岸にあたる場所でした。ここで金翅鳥が巣を作って産み育てていた子供達を、阿修羅が山を動かして振るい落として取って食べようとしていました。
金翅鳥はこれを嘆き悲しんで仏の御前に参りまして、仏に「海の畔の阿修羅王が私の子を食べようとするのでどうしようもありません。どうしたらこの難を免れるでしょうか。仏様、願わくはお教えください」と申しました。仏は金翅鳥に「世間では人が死んだ後四十九日に当たって法事を行う家があるが、その際に比丘(僧)が供養を受けて呪願し布施の食事を摂る。お前がこの難を逃れたいと思うなら、その布施の飯を取って山の隅に置きなさい。そうすればその災難を逃れられるだろう」とお告げになりました。
金翅鳥はこの話を聞いて帰り、仏の教えのようにその布施の飯を探して山の隅に置きました。その後阿修羅王が来て山を揺り動かそうとしましたがびくとも動きません。力を振り絞って動かそうとしても塵ほども動かないので、阿修羅王はついに諦めて帰りました。山が揺り動かされなかったので、鳥の子も落下せず無事に育ちました。
このことから四十九日の法事の布施は最も貴重なことがわかります。したがって、何のお勤めもしない人が四十九日の法事の場に行き食事をするなどというのは、あってはならないことだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 吉田苑子
【校正】 吉田苑子・草野真一


【協力】ゆかり・草野真一

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